ノーミソ刺激ノート

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ノーベル賞と教育

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日本人ノーベル賞者が新たに増えて全国的な賑わいが徐々にさめて来た頃ですかね。
今回の受賞者は

根岸英一教授(75)
鈴木章教授(80)

教育の観点からすれば、大雑把に10歳から20歳までを日本で受けた教育時期と考えると
彼らは70~55年前の教育の成果といえるのか?

過去のノーベル賞受賞者も2002年化学賞の田中耕一さんは現在51歳で若いが、他の方は皆70~80歳が多い。
当然、成果を上げるにも、認められるようになるにもだいぶ時間がかかるのでその年代が多いのだ。

では、ここから先、ノーベル賞に限らずとも世界に認められるような科学者が増えるのか、減ってしまうのかが気になる。(ノーベル賞は未だに野口英世氏に見られたような白人的民族差別が残っているっていう意見もあるけど)

教育史的に見ると、第二次大戦(1939~45)が71~65年前。時代的にしっちゃかめっちゃかな時。その4年後、1949年教育公務員特例法、教育職員免許法、社会教育法が公布される。つまり教育的な整備どころか社会的な整備もされていない時代の子供達。
となると、それが良かったのか、教育自体が、さほど意味の無いものなのか。

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個人的には国による教育に関する政策が国内の学問レベルが発達する大きな理由にならないと思います。重要なのは

  1. 良質な社会および家庭環境。
  2. 潤沢な研究費。
  3. 研究結果の効果的な宣伝。

つまり国のよこす教育サービスよりもそれをうまく利用する能力のある国民の人格を形成する家庭環境と、能力のある人間が自由に使えるだけの研究費
その結晶が良質な学者であり、国民だと思います。
ですから日本の国民性のというものは今も昔もそれほど変わらないので、社会や家庭環境もそのままで良い。(変わらないから良いも悪いも無いけど。)
学問の成果のしてのノーベル賞を狙うのであればなんにせよ。研究には多くの投資が必要なのだ。

ノーベル賞に限っていえばまだ40~50代の研究者はアメリカに沢山いるので有名な白人の推薦をもらえる人間も多いのではないか。かつて外国へ留学する学生が増えてきた時代に日本の頭脳が流出すると騒がれていたらしいが、日本で幾ら素晴らしい研究をしても世界で認知されなければ本人にとって気の毒だろう。だからこそ、その宣伝として世界へ進出する必要があるのだ。

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