ノーミソ刺激ノート

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頭が良くなる方法はいくらでもある

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もっとバカはなおせる 最新脳科学で頭が良くなる、才能が目覚める、長生き健康になる! (アスキー書籍)

先天的(生まれつき)に頭が良い、悪いということはあります。

これは変えることが難しいです。

 

でも向き不向きがあります。

例えば数学は苦手だけど国語はできるとか。

 

で、それを無視しても頭が良くなる方法はあります。

 

  • 真似をする
  • 本を読む
  • 学校へ行く

 

一見、目新しいことは無いかもしれません。

しかしこういうことをしている人は少ないんです。

 

「いくらでもある」っていうのに三つしかないじゃないかと思うかもしれませんが、これはあくまでエッセンス(本質)です。

自分の生活の中で出来ることはこの三つを応用すれば無限に増やせます

 

世の中には自分はバカだからしょうがないと思って何もしていない人が多いです。

でもちょっとした工夫で頭はよくなるんです。

真似をする

頭が良いという人の考え方、体の動かし方を真似をします。

観察するだけでいいだろうと思うかもしれませんが、実際に体を動かすことで気持ちが変わってきます。

 

目標とする人が「~へ行った」「~をした」と言っていたら実際にやってみましょう。

人間は情報だけで「わかった」と思いがちです。

知った気になるのは一番バカなこと。

 

頭がよくなりたいのであれば、自分は「知らないんだ」という意識をしましょう。

そうすると頭が良い人の考え方が何となくわかってきます。

ただ見ているだけとでは全然感覚が違ってきます。

 

「学ぶ」とは「真似ぶ」というのが語源で、真似をすることから始まります。

真似をするという事は初めはうまく行かないですが、やっているうちに上達していきます。

 

しかし全く同じにはなりません。

例えばプロの書道家は毎日「臨書」(手本を真似をして書くこと)をしています。

 

しかし真似をしている人の身体や腕の長さ、呼吸の仕方までは時からは全く同じようにはできません。

それでも「これくらいの高さから筆を下したのではないか」「これくらいの強さ、速さで筆を進めればちょうどいい太さになるのではないか」と工夫しながら真似をすることで上達していきます。

 

ある程度真似をしたら他の人も見てみましょう。

よくあることですが、複数人の真似すると矛盾してくるということがあります。

習い事で複数人の先生がいた場合、それぞれの先生が言っていることが微妙に違ってるってことはよくあります。

 

これは正解が一つではないという事。

誰も悪意をもって話しているわけでも勘違いしているわけでもありません。

結局わからなかったら、とりあえずは分からないまま取っておくという事を習慣化しましょう。

 

すぐにすべてが分かるということはありません。

ですからそこは全体を見て、ある程度わかってきてから自分で判断しましょう。

ある日突然、「この二つの矛盾は、そういうことか!」と気づく時が来ます。

 

たくさん真似していくとそういう「勘」がついていきます。

 

その勘がついてきた時こそ頭がよくなった証拠です。

バカな人はずっと真似をしているだけです。

読書をする

これも当たり前だと思うでしょう。

しかし一定数、ニガテな人がいます。

ニガテだったとしても毎日生き帰りに本屋で立ち読みするだけで違います。

 

何か気になる本を読んでみる、そして一行、一言を読んで「ああなるほど」と思えたらそれは収穫です。

それを毎日積んでいけば大したことないと思うかもしれませんが大きな積み上げになります。

 

だから簡単にできそうなのに、出来ない人がいるので読書をするのにあまり苦でない人はガンガン読んだほうが良いです。

何でも読めば良いんですけど、頭がよくなりたいと思うのであれば、

 

自分にとって少し難しい

 

っていうレベルを読みましょう。

簡単な本も読んでもいいですよ。

 

でも頭が良くなるという事は今よりも難しい話を理解できるという事なので、それが読めることを目標にしましょう。

 

おススメは純文学や思想・哲学書です。

普通は手が出ませんが、今では漫画版が出ているのでそこから読めば良いんです。

僕も読みましたがそれを読んでから文字だけの本を読んだら全然理解の仕方が違います。

 

詳しくは↓

 

ちょっと自分がビビるレベルの本を読めば良いです。

こういうものは一冊全部読めることが難しそうなものです。

本は一冊読めないと意味が無いという事ではありません。

 

現状の自分の頭の中にないことを取り入れることで、色んな発想が出来るようになったりします。

本は一度に読むべきものではありません。

 

何年もかけて理解したり一旦は挫折したけど何度もチャレンジするというものでもピイです。

もしくはいったん読んだ気でいるけど数年たったからもう一度読んでみる、っていうのもいいですね。

 

学校の教科書で読んだから理解した気でいるけど、年数経ってもう一度読んだら全然感想が違った、ってことはよくあることです。

 

日常的に本を読むという人でも難しいと思う本は敬遠しがちです。

でもそういう簡単な本を100冊読むより、ビビるレベルの本を時間をかけて1冊読むほうが、頭脳的にはいい刺激になります。

 

数を読んでいないことを自慢はできませんが、本来、本当に読書が出来る人は冊数自慢はしません。

読めるようになるとその本の内容を会話に込めて話が出来るようになりますから、表面上の冊数は関係なくなります。

 

とは言え簡単な本を読んではいけないということは無いので、自分で調節して読んでみましょう。

 

多読をしなくていい理由 - ノーミソ刺激ノート

 

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)
 

学校へ行こう!

「当たり前じゃないか」と思うでしょう。

でも当たり前だからこそ、無視しがちです。

バカな人は当たり前のことをせず、世界には秘密や陰謀があるんだと思いがちです。

 

だからいつまで経ってもバカなんです。

当たり前なことはある程度はしますがしっかりやる人は全体で1%もいません。

ですから当たり前のことを継続しましょう。

 

学校へ行く一番のメリットは「視野が広がること」

学校へ行かなくても本を読めば良いと思うでしょうがそうではありません

本を読むのは自分の関心のあるものばかりに目が行きがちです。

 

例えば私は哲学を大学院でやっていました。

が、哲学をやるなら歴史も知らないと駄目なんですね。

でも自分で歴史の本を開くのは躊躇うんですよ。

 

でも授業で歴史の話を聴いたり先輩や後輩が歴史の話を聴いていると何となく耳に入ってきて、それが意外と勉強になる。

 

すると積読されていた歴史の本を読んでも

「あ、これは先生と先輩が話してたことだ」

という情報という「小さな点」がポツポツ見えてくる

 

こういうことって小さなことではありますが独学では獲得できない情報です。

そういうニガテなことも耳から入ってくるだけでだいぶ違ってきます。

 

学校を甘く見てはいけない

学校は就職のため、キャリアのためという感覚が蔓延していますがそれは異常なことで、本来は頭をよくするためです。

 

基礎的な学力だけ積んで、後は「本が読めれば独力でいい」っていう人もいますがそれでは限界があります。

 

仮に得意な分野であっても「盲点」は必ずあります

自分の力を信じ切ってしまうとそういう盲点に気づかず思わぬ落とし穴にはまります。

 

というか独学で勉強をすると絶対に盲点があると思ったほうが良い。

なぜなら学問の世界は広すぎる割に一人の注意力では全体を見通すことが出来ません。

 

そこで先生に

「こういう見方もあるよ、ああいう見方をしてごらん」

視点をずらされることで一人では出来ない視点移動が可能になります。

 

これは一人のセンスとか体力とかの問題だけではないんです。

大学院の先生はそれに人生をかけている先輩ですから視野の広さが全然違います。

 

ですからその分野で一家言(独自の主張)持ちたいのであれば、絶対に院まで行ったほうが良い

 

「大学院まで行ったらお金の無駄、キャリアを積むならまだしも、勉強なら一人でできる」

と思っている人が多いかもしれませんがそんなことはありません。

 

自分で本を選んだりするにはやっぱり限界があります。

「大学4年で卒論まで書いたんだから、研究の方法は最低限身についている」と思いがちですが、それは本当に才能のある人でしょう。

 

「才能のある人」というのは東大とか高学歴の人たちとは限りません。

研究や書くことに関しては向き不向きがあります。

 

勉強をすることと文章を書くことはまた別のことなので、たとえ東大卒とは言え、4年で卒業した人はやはりそこまでの経験値でしかありません。

何も高学歴批判をしたいわけではありません。あくまで言いたいのは、学校へ行くことのメリット。

 

例えば今の大学までの進学率は50%だそうです。

「東大とどこか聞いたことのない大学とでは全然違うじゃないか」

と思うでしょう。

しかしその内容、カリキュラム的には殆ど変わりません

 

僕は大した所ではありませんが大学院まで行きました。

やっぱり大学院は違います。「腐っても鯛」というか。

僕が特別いい大学院に行ったわけでもないし運がよかったわけでもありません。

 

同じく大学院まで行った人のYouTuberチャンネルとかを見ているとやっぱり東大生と、他の大学院生では考え方の深め方が違うなと感じます。

これは先生のおかげです。

 

大学院の先生は学部生と院生とでは態度が変わります

 

仮に偏差値の低い大学の学生であってもしっかりと「院生」としてみます。

もちろん先生も人間ですから偏差値が低い、バカだという風に見下げる気持ちもあるでしょう。

 

でも一般の人でも中学生と高校生では仮に中学生のほうが地頭が良くても「中学生」として対応するし、バカな高校生でも「高校生」として対応するでしょう。

それは「そのグレードではこういうレベルであるべきだ」という見る側の認識があるんです。

 

小学生になった子供に対しては幼稚園と同じような態度を取らせないでしょう。「こうあるべき」という意識は誰でも持ってるんです。

 

それは大学院教授でも一緒。

ですからどんなに低い大学院であっても院生であれば院生として扱われ、厳しく接せられます。それがものの見方に大きく影響するんです。

しかし本当にこれによって頭はよくなります。

 

先天的な頭の良さがあっても、インプットが無ければ意味がありません。

そのインプット先を確保するために学校に行くんです。

 

学校に行くメリットは

 

  • 視野が広がる
  • 耳から聞くことができる
  • 生身の人に会える

 

これです。

 

大学の時にやっておいた方がいいこと - ノーミソ刺激ノート

 

大学での哲学の内容 - ノーミソ刺激ノート

 

大学で哲学を勉強するということ - ノーミソ刺激ノート

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