結論
結論から言うとヨーロッパの人からすると難しいってことです。
よく「日本語は世界の言語でも難しい」という事が言われますね。
言語の難易度として表が示される場合もあります。
どこかの塾講師がその方を出して
「日本語は世界でも難しい言語なんだ!だから日本語が話せるんだから英語なんて簡単なんだ!」
と言っているのを見たことがあります。
しかしそれは教師がよく使う
半分ホントで半分ウソ
ってやつ。
なぜそんなことを言うかというと、生徒のやる気を出すためです。
正確には「ヨーロッパの人にとっては難しい」ってこと。
英語などを話す人からすれば、文字も単語も文法も違う日本語を勉強するのは難しいのは当たり前。
「え?じゃあ日本人が英語を勉強するのが難しいのと一緒じゃん」
と思うでしょう。
実際そうなんですけど、そう言ってしまうと勉強する気が無くなる人が多いですよね。
教師が真実を言ってしまうと勉強しなくなるのでは本末転倒。
というか真実を話すには技術がいるし長くなるので子供に話すにはどうしても無理が生じます。簡単に説明できるなら一生かけて研究する人が居る理由もないですよね。
だからウソを言う必要があるんです。
これだけを知って「教師は悪い」と思うのもバカな話です。
繰り返しますが「真実」は簡単に知れるものでも語れるものでもありません。
子供に嘘を言うのは仕方のない事
10代そこそこの子供に理解できるほど世の中は簡単にできていません。
だから仕方のないこと。
小さい子供に「はやく寝ないとお化けが出るよ」というのと一緒です。
本当は出なくても早く寝ないと成長ホルモンが出ないので結果的に早く寝ることが子供のためになりますよね。
これの真実を話してもすぐに理解できないのでそういう必要があるんです。
同様に教師は本当のことを教える必要が無くて、結果的に生徒に学習をさせればいいんですね。
医者が患者に病気の本当のことは教えなくても、薬を出して結果的に治れば責任は問われないのと一緒。
本当のことを言って心が病むことになってはダメですよね。
実践(教育と臨床)と真実(科学)は必ずしも一致しないんです。
教師は学者と違うので本当のことを言う必要はないんです。
真実を知ることが良いことだと思うのも考えもので、人間は真実を知ると気分が悪くなることが多いんです。
だから勉強した学者が何でもかんでも真実を言ってしまってはいけません。
例えばキリスト教倫理が社会を支えているときに「神はいない」「地球は中心ではない」と言ってはいけないのと一緒。
僕も世界史を聞いた時に
「昔の人はバカだなぁ、宗教なんか信じて」
と思っていましたがバカなのは高校生の頃の自分でした。
仮のモノ、真実ではないにしろ「倫理」で社会は支えられています。
ここで本当のことだからと言ってその倫理を崩してしまうと社会が混乱して、機能が停止してしまう危険性があります。
具体的に言えば人殺しなどの犯罪が多発しまう可能性があります。
では現代ではなぜ「地球は中心ではない」というような倫理がまかり通っているかというと、社会的な成熟度です。
社会的な成熟とはそれを知ってる人が増えているという事。
世の中が古代キリスト教倫理を信じている人が多かったら、「朱に交われば赤くなる」で、個人もその倫理に従うようになります。
そういう過去があったうえで科学を信じている人が多くなれば、その過去の記憶がありながら科学も信じる個人も多くなるということ。
だから初めての価値観はすぐに受け入れられません。
「難しさ」のカギは「成熟」
日本語を日常的に使っているときに全然違う言語である英語を見ても混乱してしまうのは当たり前の反応なんです。
だから時間をかけて、別の価値観を浸透させなければいけません。
これは読書も一緒のこと。
いきなり本を読んでも受け入れ得られない場合は、時間をかけて読むしかないのと一緒です。
現代人の拒否反応について
Twitterで
- 日本語にない英語
- 英語にない日本語
という二つのパターンを紹介したんですが、圧倒的に反応が良かったのが
「英語にない日本語」のほう。
つまりほとんどの日本人は「日本語は素晴らしい」という価値観で生きているので、その価値観を肯定してもらえるようなツイートには賛同(いいね)します。
⇓内容はこんな感じ
【英語にない日本語】
・いただきます
・ご馳走様
・よろしく
・お疲れ様
・森林浴
・粋などなど。
そして逆に「日本語にない~」というように日本語が不完全であるというようなツイートには反応がゼロでした。
【日本語にない英語】
・souvenir
➔「自分のためのお土産」
他人のためは "gift" か "present"・sibling
➔男女関係ない「兄弟・姉妹」・comprehend
➔「全部を掴むように理解する」
understandとは微妙に違う。・raw
➔「生」のほかに「高湿度の寒い状態」など。
これは気持ちは分かります。
日本語が優れているような評価は日本人として気持ちがいいからですね。
しかし言語的関心を持っていれば、両方を見て同じような関心を持つでしょう。
日本語をひいきにする気持ちは私もあります。でもそのひいきの気持ちと言語的関心は別に考えるべきでしょう。
もう一つは言語的に関心を持っても、自分自身にフォロワーがいるから、「日本語に対して不利」なツイートに良いねしてしまったら、何となくサヨクっぽい党派性を感じるからかもしれません。
二つ並べたらただ単純に言語の比較という話に感じますが、Twitterの場合は文字制限がありますから二つを一緒に出すことが出来ません。
だからこそ「日本語にも限界はあるんだよ」という事を示されたものに反応を出しづらいという事があるでしょう。
当然Twitterのフォロワーさんは日本人ばかりです。
ほとんどの人は「日本人にしかない概念」「日本語の特別感」に気持ちよくなるんですね。
- 「日本語は難しい」
- 「日本語は世界で一番難しい言語」
という事を日本人が言うことがありますが、そういうことは各国の人が母国語を「難しい」と考えたいので、珍しいことではありません。
日本人だけのことではないんです。
好みの問題であって、学問上の「簡単・難しい」の問題ではありません。
サヨク系の人は「日本は特別だと思ってんじゃねーよ」っていう感じで言いますけど私自身は別に考えていいと思っています。
考えてもいいし、誇りに思ってもいい。
ただ外国人と接するときに「日本語は特別!」ということを開けっぴろげに話さなければいいだけの話。
台湾人に対して「台湾の人は親日だよね!」って言っちゃう奴がイタいっていう感覚です。
もちろん私自身もそう考えていたことがありますし、考えていてもいいんです。
なぜならほとんどの人は外国人と接することは無いですし、外国語と日本語の比較を時間をかけてすることはできません。
だから「母国語は特別」と思っていたほうが精神的に健康にいられるので、批判はしません。
言葉は簡単に変換できません。
さらには「似てるけど無いとも言えない」という微妙なグループもあります。あ、「微妙」も日本語独特。
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