友達とは何か
ここでそんな大きな問題を定義しようとは思いません。
ただ、一度に多くの友達と連絡取れることってないと思うんですよ。
そもそも一人であまりに多くの友人というのは許容できないでしょう。
多すぎたら付き合い方も様々になって精神的に負担になりますから、自然と頻繁に連絡とる人は7人以内になると言われています。
人は自分のアイデンティティを自分一人では維持できません。
どうしても仲間内、友達同士の関係性の中で維持するものですから、たくさんの人と交流しようとしても、しようとすればするほど、自分の中身が薄まっていく感覚になります。
友達にもいろいろあると思いますけど、一つは共感できることが重要だと思います。
人はそれぞれ違うので、共感できること、一緒にいて心地のいい人という人は実際は少ないはずです。
そして一度にたくさんの人が友達、本当に頻繁に連絡を取れる人というのは実質難しいという話もあります。
とある研究によれば、それは7人が限界とのこと。
確かに私の感覚でも、6~7人が頻繁に、気負いなく連絡が取れる人の限界なきがします。
「愛読書」に関しては下の記事をどうぞ⇓
友達100人は魅力的?
友達ばかりの人って信用できないじゃないですか。
恐らく、自分自身に特別な考えがない人、もしくは根拠なく自信がある人はたくさんの友達ができるのかもしれません。
子供の頃はその傾向がありますから、多くの人と話せるようになっているでしょう。
しかし大人になるにつれ、何かしらの考えが出てきたり、染まったりして、自己同一性(いわゆる『自己』)が形成されると、友達を選別するようになります。
これは決して悪いことではありません。
友達が少ないことを自虐的に話す人もいますけど、友達が多いことをうらやましいと思ったことがない人も多いんじゃないでしょうか。
なんでかって、考えたことなくても人生の中で魅力的だなと思える人は例外なく色んな考え方ができる人なわけです。
アホでもわかる数字で人の魅力は計れないんですよ。
友達の一言で人生が開けたって体験してる人は少ないでしょうけど、読書して人生が変わったという人はたくさんいるでしょう。
少なくとも読書は人と会うよりも何百倍も速くいろんな言葉に出会えるし、その分人生がいい方向に変わる確率が高いわけですよ。
つまり人が変われる、成長できるのは結局言葉なわけです。
友達がたくさんいる人のことをうらやましいと思いますか?
たくさんいるからといって人付き合いには濃淡があるわけですよ。
皆に平等に人生にかかわるという事は不可能なんです。
薄い、淡い付き合いはあるようでないものです。
そもそも魅力的な人は勝手に人が集まる人のことで、必死にネット上の登録友達数を増やしているような人に魅力なんか感じないじゃないですよね。
勝手に人が集まるような魅力的な人ってどういう人かと言ったら、いろんな話についていけたり、いろんな話ができる人じゃないでしょうか。
色んな話についていけるってことは人と精神的につながれるってことですよ。
それは直接人と話すことよりも個人の中でいろんなことを日々考えることで養える力じゃないでしょうか。
人とつながる能力って読書が一番効率的だと思うんですよ。
書かれている内容について何か自分の中で思ったり追体験したりして自分の人生の中で体験できないことを短時間で得られるわけです。
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読書をすることによって魅力が上がるってどういう事かなって考えたんですけど、他の人と違うってことですよね。つまり個性があるってことです。
個性こそ魅力
友達がいること自体は否定しませんけど、いつも友達と会っているようじゃ個性なんか育めませんよね。
個人の生き方ですから否定はしませんけど、ハタから見たらそういう人で尊敬できるような人を見たことが無いでしょう。
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たとえば国家レベルで考えてみましょう。
現代日本の個性って言ったらサムライ、歌舞伎、城郭、文学あたりでしょうか。
それっていつごろ育まれたかと言ったら鎖国中ですよ。つまりグローバルを拒否してローカルであり続けた時です。
200年間鎖国したからこそ個性が育まれたんでしょう。
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これは国家だけではなくて個人も一緒です。
個人で色々勝手なことをやって考えているときが一番個性的でいられるんです。
かと言ってずっとそれじゃあ意味ないですから、いつかはグローバルに開いていったらいいと思います。
仲のいい友達って言ったら大体7人が限界だと何かで読んだことがありますけど、その通りだと思います。
私も通常普通に話せるのは3~5人くらいです。
友達沢山作ることが推奨されったのは小学生の時だと思いますけど、小学生の時は本もろくに読めないし、人間の種類もわからないから色んな子供と付き合った方がいいでしょう。
が、中学生にもなればいつまで経っても友達を増やしてないで本をたくさん読んだほうがいいに決まっています。
なんでかってそっちの方が効率よく人間の心理や知識を得られるからですよ。
碌でもないどうでもいい人と沢山付き合うよりも、世界の名作などをたくさん読んでいる人のほうが魅力的ですし人間的に深みがあります。
大体人と話すよりも文字情報のインプットのほうがたくさん情報が取り込めるじゃないですか。
かといってそればかりじゃ刺激が一辺倒ですから偶には人と話をするくらいがちょうどいいと思うんですよ。
あくまで読書と人との会話は10:1くらいでいいと思います。
そこで、たくさん本を読んでいくためにもどのように本と付き合ったらいいかという事を紹介していきます。
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新書などの評論、随筆などの場合。
自分が読みたい本のリストを作って机の一番見えるところに並べ、読みたいと思ったところから読むことです。
途中分からなくなったら調べるのでもいいですし、嫌になったりしたら別の本を読みましょう。
できるだけ時間がある時に集中的に読んだほうがいいですね。
途中眠くなることがありますけど、そういう時は私はカフェインを取るようにしてます。
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新書などの実用書の場合は小説と違ってストーリーが重要ではありません。
もちろん著者は読みやすいように、自身の考えが届きやすいようにまとめているのですが、読者からしたらそれはあまり関係ないこととします。
読みたいところから読めば頭に入ってきやすいです。
読みたいところはどこかを見るためにはまずは目次です。
その本を取ったからにはその題名から取り得たい情報があるから取ったはずでしょう。だったらその中からさらに得たい情報から取りましょう。
なぜかと言えば私自身の読書体験からです。
得たい情報があって新書を手に取りましたが、最初の箇所はあまり関心がありませんでした。
我慢して全部読んだら、三日後には興味のある個所以外のことはほとんど忘れていました。
それだったら始めから興味のあるところから読んだ方がいいでしょう。
読んでいくうちに、他の章も気になって、結果的に全部読んでしまった、それどころか何度も読んでいてその本のことに関しては人に説明できるようになってしまった。ということだってあります。
あと、気にする人が多いのは、気になったところだけ読んでいて、最終的に気にならなかったところは読まなくてもいいのか。ということです。
読まなくていいです。
だって気にならないことを読んでいても頭に残りません。
最終的に頭に残るのは興味のあることです。
せっかく買ったんだから全部読まなくてはなんてケチな方法を取っていたら最終的に何も残りません。
本はドンドン読みましょう。
読みまくれば知識が増えますから大抵の現代の本は読めるようになります。
欲しい情報を頭にインプットしたいから本を読むんですからそれ以外のところは読まなくてもいいのです。
というか読んでも頭に入らないので苦痛で時間の無駄です。
キャッチボールでもいくら投げる相手がいても受け手がそっぽを向いていたら取れるものも取れません。
読書も同じで読める気がしないものは読めないんです。
読んでない個所を勿体ないと感じることもありません。
わからないのに読んでいるより、わかるところを読んでしまった方が時間の有効活用になります。
小説の場合
小説などストーリーがあるものの場合であれば、順番に読まないとまずいかもしれません。
が、昔の時代背景や、外国の文化背景が分からないものを読もうとしてもわからないでしょう。
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そういう場合は事前に解説書を読むのがいいんです。しかし解説書もレベルがありますからはじめの内は漫画版を読みましょう。
せっかく賢くなりたいのに漫画っていうのはカッコ悪いです。が、そんなの他の人からしたら関係ないことです。
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大学教授の研究室にはたくさんの本がありますが、どんな読書家の人でも積読(つんどく)ということをしていて、全部は読んでいないのです。
大体の人はその本の三割ほどしか読んでいない、目を通していない人が殆どです。
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ですから気にせず本を読みましょう。
結局正しいのはどっちかという事は決められるものではありません。
確かに友達が多いのは楽しいかもしれませんし、私の知りえない有意義なことがあるのかもしれないですけど、私にはどうしても空虚な人間関係に思えて仕方ありません。
友達が多いのがいいか、愛読書が多い方がいいのかというのは個人の生き方次第なのでこれが正しいと言えるものではありませんが、あなたはどっちになりたいかってことですよ。
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