読書力の基礎とは
読書の力の基礎は文脈を読む力です。
言葉は文脈によって意味が変わります。
つまり底上げには「文脈」が重要。
「語彙力が無い」
というような表現がありますが、そこでよく言われているのは「単語数」が無いというような意味で使われている印象です。
しかし重要なのは「単語」の「数」ではなく、「助詞」「接続詞」を使うような言葉をつなげる感覚そのもの。
だから「助詞」「接続詞」が使われた言葉を感じることが重要。
だから長い文章を根気よく読むのが読書には必須です。
一方、見たらバカになるという「テレビ」では、短く切ってバカでもわかるように設計されています。
「早合点」(はやがてん)という言葉がある通り、短い言葉で「わかった気」になるのはバカがやることです。
それは短い言葉で分かってしまう経験が多いから、そうなってしまうんです。
しかし実際の世界は複雑で、長い言葉を理解しないと、その複雑さを感じることはできません。
「助詞」「接続詞」が重要だからと言って、そればかりに気を取られることはありません。長いもの語りを読めば自然と感じられるものなので、簡単なものからでいいので一つのストーリーを読みましょう。
言葉はシンボル
そして小説などのいわゆる文芸になると、時には言葉は象徴(シンボル)として隠れた意味になったりするんですね。
例えば「月」は満ち欠けがあることから「死の象徴」になりますし、太陽と反対に女性の肉体に現れる周期的な事柄からも併せて「女性」そのものの象徴にもなります。
こういう考え方は世界にもたくさんあるんですね。
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これは誰が決めたわけではなく、文学の歴史の中で生まれた決まり事なんですね。
決まり事だからと言って堅苦しいものではなく、それをうまく使って自由に表現をすることができます。
つまり道具です。
読書力は決して小説などを読むためのものではありません。
あらゆる実用書を読むこともそうですし、文字だけではなく、日常会話でも文脈が重要です。
そういう事に敏感になることによって人の奥にある、本人にも気づかないような気持ちを察することによって、日常や仕事にも役立てることができるんです。
「文脈」とは
文脈とは言葉の流れです。
言葉は単体で意味を成しえますが、文脈によって言葉の意味が変わります。
その文脈によって言葉の意味を掴む力というのは、人間だれしも持っている力です。
しかし的確に、重要な言葉をキャッチして、全体像を掴む力は訓練を積まないと出来ません。
そんなの話を読んだり聞いたりしていたらできるよ思いがちです。しかし人は知っている情報しかキャッチできないようになっています。
ですから情報を得る前に既に知っている情報を駆使し、それを掴むことによって、意味を自分の頭の中で再構築しているんですね。
これって初めて聞いた時は「ンなあほな」と思いました。
でもたくさん本を読んでいく中で、そのことが本当だと気づくんですね。
気づきやすいのは、自分の好きな本を何度も読むこと。
一度として同じように同じ本を読むことができません。なぜなら読むごとに発見があるからです。
それは読むごとに自分の頭の中で再構築が繰り返されているからです。
よって、同じ本を何度も読むことで読書力が上がります。
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ですから人の言葉をそのまま受けているようで、実際は自分の頭の中にある情報という道具を使って、言葉を作っているんです。
読書の力とは「言葉を読む力」。
ですから簡単なものからでいいので、闇雲にではなく、面白いと思えるものを立ち読みして探し当てましょう。
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国語の力というのは一般に大きな比率を占めるのが読解力ですよね。
読解力は文脈を読む力です。
それは文章中に限らず、人との口頭のコミュニケーションをする際にも「文脈」というものは存在します。
ですから直接、その会話の中に参加していなくても人の話す言葉の流れの中で人の気持ちを察するという事ができるようになります。
つまり文脈を読むというのは空白であってもそこを予測する技術です。
人は言葉ですべてを語ることはできません。
時間的制約もありますし、言葉の制約もあります。
ただ単純に言葉の数を増やせば伝わるかといえばそうではないし、何もヒントが無ければ伝わるものも伝わりません。
じゃあどうやって伝わるかといえば言葉を発するほうも、受けるほうも相手の状況を「察する」ことが大切なんです。
「察する」とは
日本人は察するという事が優れていると言いますよね。
それは、言葉の中で直接物を言わず、周辺を話すからなんです。
直接伝えたからと言って全部が全部伝わるかと言ったらそんなことはありません。
言葉で全部を伝えることは不可能で、言葉というのもはすべて例えだと言ってもいい位です。そこで全部を伝えようとしてしまうと、逆に嘘に、わざとらしく、思えたりしますよね。
ドイツの哲学者ウィトゲンシュタインは
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
といいました。
周辺から話すことは、別にまどろっこしいことではないんです。
言葉は「これだ」という名詞をピタリと言えているかと思ったら実際は言い当てられないものです。
だからこそ、その、本当に伝えるべきことのヒントを与えるんです。
文学の基本は「詩」です。
伝わらなそうな気持ちこそ、直接「好き」だの「嫌い」だの言わず、例えるんです。
なぜならその気持ちというのは純粋なものだからです。
純粋なものというのはあなた個人でしか感じていないものです。
それを「他の人も似たようなのことを感じているだろう」という前提で「好き/嫌い」という最大公約の言葉を使っているだけです。
適切な使い方はあるとはいえ、世の人の99%はこれを簡単に使いすぎです。
ですから人や物に対して「大好き」とする言葉がハビコっていますが、私は簡単にそういう言葉を使っているのを見聞きすると内臓の温度が下がって具合が悪くなります。
詩の一番大切な技法は「比喩」ですね。
比喩というのはそのことをそのまま言うのではなく、近い所を例えて伝えるんです。
そういう人の言葉を、あくまでそのものの答えを得るのではなく「ヒント」として得ることで人の気持ちを察することができるんです。
ですから国語力がある人は喧嘩をすることが少ないです。なぜならそのままの答えをズキンと伝えようとしないからです。
子供の頃は試行錯誤するものですから喧嘩はつきものですが、大人気国語力がある人はその周辺を擦るように伝え、それを言われた当人はその言葉を基に察するんです。
私は倉庫バイトをしたことがありますが、余裕のある現場は喧嘩が少ないですし、仕事もスムーズに進みます。
が、人数が少なく余裕のない現場は喧嘩が絶えないんですね。
本を読むこと、活字を読むことだけが読書の力を高めるのではありません。
話をすることもそうですし、聴くのもそうです。
意外かもしれませんが、漫画ををたくさん読むことは文脈を読む練習になります。
それは何でもいいですけど、私のおすすめは「まんがで読破」シリーズです。
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それを全部読んだら一通りの文脈を読む力は付きますから、最短で世界のストーリーや知識を得ることができます。
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