ノーミソ刺激ノート

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読書の「飽きる」を解決する

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飽きる力 (生活人新書)

飽きてもいい

読書をしている途中で飽きるという人がいます。

でもそれは

 

  • いつまで経っても面白くない
  • 面白いかもしれないけど飽きる

 

という2パターンですね。

読書は飽きたら途中でやめてもいいんです。

少し読んだ時点で新しい言葉を覚えたり感覚を覚えたりするじゃないですか。

 

だから極端な話、1行読んで「そういう世界があるのね」と思った時点で目的達成でもいいんです。

飽きるという人はどんどん別の本を読んでもいいでしょう。

 

世の中には極端に飽きっぽい人もいますし、そういう人はどんどん別のことにチャレンジすればいいと思います。

私は一冊の本を何度も読んでいますが、途中で飽きます。

そういう時は別の本を読みます。

別のことをしてもいい

私はたくさん本を読んでいますが途中で飽きます。

飽きた時は別の本を読みます。

 

別の本を読んだだけで一気にリフレッシュできます。

それでも「読書」自体に飽きたら運動をします。

飽きるのは普通なんです。

 

他の本を読むことに疑問がある人がいるかもしれません。

読書に慣れていない人は「他の本でも同じだろ」って思うでしょうが、書いてる人が違えば全く世界が変わります。

 

読書が嫌なら体を動かすか、別のメディアに移るか、自由にすればいいんです。

でも、それでも一冊を読みたいと思うのであれば、飽きたらとりあえず他のことをして、また元の本に戻ればいいだけです。

 

人生は長いので、年数単位でいったん離れても、もう一度読めば良いんです。

そんなに経ったら忘れてると思うでしょう。

 

忘れていても読んでいるうちに

「ああ、そういう話あったな」

と思い出せるものです。

 

その時点で見方は変わっています。そういう風な経験も読書なんです。

私は何度も同じところを読みますが、毎回感じ方が違います。

感じ方に正解はありません

読書は自由。やめるのも自由

国語の授業を長年受けているとさも正解があるかのように洗脳されますが、それは教育上の都合で、正解が無いとテストが出来ませんから国語の世界を狭めているんです。

 

教育は狭めないと社会的な人間に仕上げることはできませんからね。

普通に読書をするのであれば決まりはありません。

 

自由に読みましょう。

本は基本的に長いので、途中で飽きるのは仕方ありません。

映画でも2時間見られないという人がいますからね。

 

それでも読みたいのであれば、読み続ける方法を三段階(初級・中級・上級)で提案します。

【初級編】本は長いから途中でやめてもいい

昔のエンタメは長くて当然でした。

歌舞伎や落語も1日中見るものでしたし、外国の演劇も基本的にそうでした。

しかし飽きるので、途中でやめる人もいましたし、弁当喰いながら見ましたし。

 

本は完全に自分の都合でやめられるので、行儀よく全部読まなきゃと思わなくてもいいんです。

読んでいるうちに何かしら感じるものが一つでもあれば、得るものは有ったんですから、それはそれでOKです。

 

難しい本の場合は何が何だか分からないまま飽きるっていう場合もありますよね。

その場合は分かる所だけでも読もうと、どんどん飛ばしながら読んでいいんです。

 

一字一句読もうという人もいますがそれで分かるもののほうが少ないです。

最近は簡単な、行数の少ない本が増えましたがそれは最近の本なだけで、ぎっしり詰まった本のほうが多かった時期が長かったんです。

 

そういう本は一回読んだだけでは分からないので、どんどん飛ばし読みをして

「新しい言葉を覚えた」

程度の得るものでもいいので、それでOKとしましょう。

 

明治大正の頃の本は一家に読んで解る、そんな分かりやすいものではありませんでした。むしろ一回読んで分かっちゃうものは、せっかく買ったのにもったいない」という感覚でした。

 

「一冊の本で長年楽しめる」

というのが売りであったこともありえたんです。

 

ですからそういう物だと思って、すぐに理解できないことにイライラしないことが重要です。難しい本は「面白くない」と思うでしょうが、難しい本を面白いと思える人もいます。

【中級編】難しい本を読む

「面白くない」と感じるのには2パターンあるでしょう。

 

  • 難しいから
  • 下手だから

 

難しいというのは「芥川賞」作品のような芸術作品

下手だというのは評価されていない「ネット上の作品」や「新人賞を通ったばかり」の作品。

 

「芥川賞」は誰でも知っている賞ですけど、基本的にこれは面白くありません。

なぜなら映画化されないくらい一般受けしないからですね。

 

「純文学」っていう分野で要するに「芸術」です。

芸術を読むには訓練をしなければいけません。

つまり「なにが面白いんだ?」と考えながら読むこと。

 

読書は極めて主体的なものです。

そして正解はありませんし、勝手に解釈していいんです。

国語の授業では正確性が問われましたが、それはテストが前提だから。

 

本来の読書はどう読んだっていいんです。

ただ、そういう風に考えるのにも限界があるので、どういう風に読めば良いのか解説してくれている本も有ります。

 

【関連記事】

純文学の面白さとは。 

 

純文学で感動するということはどういうことか 

【上級編】下手な作品を読む 

読むのも上級になると下手なものでも読もうとします。

新人賞作品や、ネット上で素人が作品を書いている「小説家になろう」みたいなサイトの作品を見る場合ですね。

 

見方としては何が悪いのか読むっていう方法。

悪趣味と思うかもしれません。

 

そうかもしれませんが何でも楽しめるというのは一つの特技にもなります。

そうなると飽きません。

 

何が楽しいのかというと発見があるからです。

私は教員経験がありますが、そういう時は下手な文章というのを大量に読みます。

文章が上手い人のほうが少ないですからね。

 

下手な文章を読むのが気持ち悪いのであれば読めません。

良い所、面白いと思う所を探すのもいいでしょう。

面白さというのは極めて主観的なものなので、自分の気分次第でどうにでもなる所でもあります。

 

そもそも、その場合はイラつかないんですよ。かわいい生徒の文章っていうのもありますけど、自分が上手(うわて)だからですね。

 

だから文章が下手で読めない、読み難いっていう場合は「しょうがないなぁ」こう書けばいいんじゃないかなという視点で読めば良いんです。

 

そういうものを読んでいると、自分の文章も気を付けるようになります。

「下手さ」とは誰の中にもあります。

 

文章が上手になるには、「下手」を避けることです。

文章を書いていくときに自分勝手に考えます。

 

だからどうしても「下手」な文章になってしまいます。

しかし下手なものは経験を積まないと上手にできないんですね。

 

だから下手な文章を読むときは自分の代わりにやってくれていると考えましょう。

下手なものにはパターンがあるので、いろんな文章を読んでいくと、その経験が積めるようになります。だから、どんどん読みましょう。

 

こんなの読んで何が楽しいんだって思ってたんですけど、見ているうちにその気持ち悪さが楽しくなってきます。

 

そしてそのあとにプロの文章を読むと「プロのすごさ」が何となくわかってきます

 

そうすると過去の名作を読んでも、今までは「何が面白いのか分からない」というものが多かったとしても、全然違う物に見えます。

読書はそういう過去の経験から読むものなので、経験値があればあるほど楽しめます。

 

「文豪」と呼ばれるよな人と、普通の人の言葉遣いは明らかに違います。

もちろん練らなくてはいけないという所もありますが、「何だか知らないけど読めてしまう」のが文豪の文章です。

 

素人の小説は変に形式ばっていたり、格好をつけている感じがして気持ち悪さがあります。でもそれを読んでいくうちに

 

「気持ち悪さの正体」

 

のようなものが見えていくんです。

その更に後に、新人賞の作品を読むと、何が違うのかという輪郭のようなものが見えてきます。

 

悪文をプロがまとめて解説してくれている本も有ります。そういう物を読むとむしろ楽しくなってきます。

悪文 第3版

悪文 第3版

  • 作者:岩淵 悦太郎
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 1979/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

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