頭に入りづらい
哲学の本を読んでも「なるほどー」と思って本を閉じても「なんだったっけ?」と全然頭に入ってないことが多いんです。
その理由は
抽象的だから。
つまり個人の頭の原因ではありません。
めちゃくちゃ頭のいい人でも、はじめは理解が出来ません。
抽象的というのは特別に具体的なストーリーがあるわけじゃないんです。
ではどうしたらいいかというと、
何度も読む
これしかありません。
しつこく読む
哲学が理解できている人は例外なく同じ本を何度も読んでいます。
一度や二度程度では理解できません。
あまりお勧めしないのは、いきなり特定の哲学者の解説書やその哲学者が書いた本を読むこと。
大概、何もしていない状態から一人の哲学者のことを理解することは難しいです。
ではどうすればいいかというと、
- 「哲学史」という「歴史」の流れ全体を眺めること。
- 大学の先生が書いた解説書をたくさん読むこと。
普通の哲学史で大きく扱われるのは
- ソクラテス
- プラトン
- アリストテレス
の三人で、順番もその通りにやっていきます。
じゃあこの三人をやってればいいかというとそうでもない。
話によって分かるところもあるけど、よくわからないところもあるんです。
そういうことが繰り返されます。
だから他の哲学者を見ましょう。
色々眺めていくうちに「おもしろいな」と思える人が出てきます。
その人を読んでいくうちに、今まで分からなかったところが分かってきます。
「あ、この話題って過去の哲学でも見たことあるな」
って感じで。
そしてその箇所を読むとなんとなくわかってきます。
しかし「なんとなく」です。
でもそれを繰り返すことによって、理解度は確かに上がっていきます。
哲学に限らず、学問は積み重ねと流れが重要です。
ざっと哲学史を見て気になった所は読む読んで、ということを繰り返していくうちに数年過ぎます。
大学で哲学をやるのはそんな感じです。
そして3年目で「これでいっかな」という特定の哲学者を撰んで、それに関する本を読んで卒論にまとめます。
これが普通の流れです。
哲学は専門的な用語が出てきますが、初めはその言葉も理解できなくてマゴマゴします。しかし注釈などを丁寧に読み続けていくと「そうか」と思える瞬間があります。
それでも読めなければ、別の哲学者のページに行っちゃいましょう。
ただ単に「なんでか分からないけど勉強してる」っていうのでもいいんですけど、それだと活かせません。
そのためには「メリット」を考えましょう。
哲学を知っているとカッコいいからというのもあります。それがきっかけでも充分いいでしょう。しかしそれだけだと続きません。
哲学をやるデメリット
「カッコよさ」を求めるには理解をするのに時間がかかりすぎます。
大学4年間哲学科などに所属していても、哲学的な素人の質問に答えられるようにはなりません。
実感的に哲学を学んだと思えるには時間がかかるんです。
カッコよさは簡単に手に入るとは言いませんが少なくとも実感が得られにくいです。
服装や筋トレは少し工夫をすれば、数日、数週間で若干の実感は得られます。
しかし抽象的、知的なことで実感を得るようになるには年単位で続けないと実感は得られません。
ほとんどの日本人は大学から哲学を勉強しますが、4年やってもまともな実感は得られません。
哲学に限らないですが、学問的なことを少しいえるようになるのは大学院に入って2年やってからです。
大学4年では、それ以外にやることがたくさんあるので、卒論で特定の哲学者についてちょろっとやるくらいが精一杯です。
どんなに優秀な大学でいでもそうですから安心してください。
そう、哲学を理解するには時間がかかるんです。
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哲学のメリット
哲学を学んでいていい所は読書全般に役立つことです。
すぐに分かることはできませんが、一旦掴み所が見えると、その後の読書ですぐに面白くなります。
人間は哲学以前は宗教的な、形而上的なことを始めます。
形而上というのは「形でないもの」という意味。
そしてその宗教的なことを説明するために哲学を作りました。
だからその後の学問は哲学的な言葉が使われるんですね。
サピエンス全史では人間は「虚構」(嘘)を作ることによって、他の「ホモ属」よりも団結し強くなったという事が書かれています。
科学のような形になるようなもの以前に宗教的なものを見る力が無ければ、形は出来上がらないんです。
中国古代の『老子』でも「有は無より生ず」(有生於無)と書かれています。
つまり何か人間が特定のものを感じるためには何もない所に宗教的、神的なものを感じるところから始まるんです。
古典を勉強する理由も、昔のことが前提になって学問は積まれていきますから、古典の言葉が分かればわかるほど本も読めるようになるんです。
今は分かりやすい図解版がありますがそれを読んでいればいいという人もいます。
もちろん私も理解のために漫画版や図解にはお世話になりましたし今でもたまに見返しますけど、それで終わっては学んだことにはならないんです。
なぜなら言葉を覚えないから。
もちろん最低限のことは覚えますがそれは固有名詞を覚えるだけ。
人間は哲学をしていますがそれは心の問題に直結しています。
単語はありますがここ悪露は常にネバ寝間自他ものです。
その心を知るには日本語で言う「助詞」(いわゆるテニヲハ)が重要です。
哲学のように抽象的な問題を扱う場合はどういう流れで言葉が生まれていっているかが理解の手立てになります。
「そんなこと言っても哲学者の名言集を読めば何となく理解できるよ」
という人もいるでしょうが、それは理解できる範囲のモノでしかありません。
短い言葉でも理解できる、分かった気になれるものを選んで編集しているだけなので、それは数十円のラーメンの駄菓子を食べて「ラーメンが分かった!」と言っているようなものです。
もちろんそれがきっかけで哲学に興味が持てるならいいんですが、それを読んで「哲学」を読んでいると言ってしまうのは疑問です。
たとえばサルトルの
「人間は自由の刑に処せられている」
という言葉がありますがそれだけ読んでも何となく「うんうん、わかるなぁ」って言えそうじゃないですか。
これで分かっていたら駄菓子的な理解で終わるという事。
でもサルトルのもう一つの重要な言葉は
「実存は本質に先立つ」
なんですね。これだけ読んでも全然分からないじゃないですか。
理由は
- 実存
- 本質
っていう言葉が抽象的だから。
でも歴史を知っていればわかるようになるんです。
もちろん「自由の刑~」も「実存は~」も両方重要ですけど、「学問」は
- 積み重ね
- 流れ
が重要です。
西洋哲学を積み重ねていけば、さっきの言葉も理解できるようになります。
そして理解していないと学問になりません。
唐から清までの中国では頭のいい人を集めた機関を「翰林院」(かんりんいん)と言いましたが、「翰」とは元々「鳥の羽」の意味で、そこから変化が起こって
「鳥の羽」➔「筆」➔「学問」
という意味になりました。
つまり学問を集めたところが「翰林」(かんりん)だということ。
そして学問とは「書かれたもの」ということ。
基本的に書かれた物、残っているものが学問の範囲になります。
大学でどの学科でもその領域の「歴史」を勉強しなくてはいけないのはそういう理由です。
「実存は本質に先立つ」を理解するにはそれ以前の哲学史、特にハイデガーの「存在論」を知る必要があります。で、ハイデガーを理解するにはそれ以前の「存在論」を知らないといけません。
つまり言葉は過去の歴史ありきで繋がっているんです。
哲学史について
一応「哲学史」というものがあって、大学で哲学をやるのであれば1年生からやるものなんですけど、一通り聞いたところで「何となくわかる」程度で終わります。
なぜなら歴史や文学のように映像を描けないんです。
西洋哲学は、
- ギリシャ哲学
- キリスト教
が大きな二大柱になっています。
日本人が2つのことに馴染めないっていうのもあります。
私自身は中国哲学をやっていましたから、中国の哲学と比較すると全然浸透する度合いが違うんですね。
「本は知識で読むものだ」
って大学の先生に言われたんですけどその通りで、中国哲学であれば、日本で暮らしていれば何となくわかる感覚があるんです。
それと中国哲学は儒教が大きな柱で、その思想は生活や政治に直結していて具体的なんです。
一応そのアンチとして「道教」というものがありますが、それもインドからの仏教の理解に使われ、それが更に日本に仏教としては行ってきましたから何となく理解がしやすいんです。
ところが西洋哲学は理解しにくい。
例えば聖書やギリシャ神話の話は何となくアニメやゲームなどで知っていたりするとはいえ、それでは限界があります。
哲学は「これだ」というものが無い
東西の哲学を勉強しても、正解は見つかりません。
僕はそういうものが見えると思って勉強しましたが、そういうものが得られるのではなく、活動ができるようになることが哲学を勉強することのゴールです。
「使える哲学」
みたいな本が多いけど、使う為の哲学って、つまんないんです。
興ざめっていうか。
哲学って「蓄積」で、ある時、ぷよぷよみたいに連鎖を感じるのが楽しいんです。
独自の哲学が作れるようになるには大学院の博士課程まで進まないと話になりません。
一応、在野(大学に所属していない学者)もいますが、そういう人も大学院生並みに本を読む訓練はしています。
だから在野になりたくても一応は、大学院まで行って、先生に本の読み方から教わらないと、無駄な本ばかりを読むことになります。
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