構造は単純
「100日後に死ぬワニ」
の面白さは結構、単純。
という構造です。
「f」に「100日後に死ぬワニ」という概念を、
「x」に各話を代入したということ。
つまり数式にすると
100日後に死ぬワニ(1話+2話…100話)
っていうこと。
中学生で習う「関数」です。
数学が苦手な人にとってはギョっとする話かもしれないけど、簡単な話。
「関数」は「関わり」の数式です。
「単純な話」全てに「100日後に死ぬ」という概念が関わってるから、100話全てが変わってしまうっていう構造ってこと。
「日常」の歴史
ここまでは単純なんですけど、そんなに単純なのに何で今までそういう漫画が出てこなかったのかというと、「日常漫画」というのが最近出てきたからなんですね。
僕はあんまり漫画をう読みませんが、代表的なのは
『あずまんが大王』(1999~2002)でしょう。
何気ない女子高生の日常漫画です。
そして『日常』(2009)
そういう漫画なら、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』もそうだろって思うかもしれませんが、それらは何となく「事件」があります。
しかし日常系の漫画は事件らしいものはあまり起きません。
『サザエさん』などでは、話によっては日常的なものがあるかもしれませんが、その比率が明らかに少ない。
一方、2000年代前後から発生した漫画には、「日常のちょっとしたおかしみ」を楽しむものが増えました。
漫画だけでなく、お笑いでもそうですね。
所謂「シュール」というやつ。
パッと思い出すのは「ふかわりょう」のネタ。
- おまえんち、割り箸洗ってまた使うんだ?
- 先生、問4がふたつあります。
- 少年ジャンプ破れたくらいで怒るなよ
など、日常的なセリフの「おかしみ」を楽しむネタです。
昔から「日常」を楽しんでいた
そういうことをいうなら、最近そういう物を日本人が好むようになったのかというと、もっと昔からそうで、「俳句」もまたそうです。
何気ない日常を言葉にして切り取る手法が俳句。
⇓の記事でも書きましたが、日常を短く切り取ることで「軽み」がでて、「おかしみ」に変わります。
純文学に入る前に読みやすいものを読もう(お笑いにも通ず) - ノーミソ刺激ノート
俳句というと、季語など色々決まりが合って分かりにくいと思うかもしれませんが、初心者にはそういう物に縛られない「自由律俳句」がおすすめ。
最後に尾崎放哉の俳句を紹介します。
- 咳をしても一人
- 墓のうらに廻る
- 足のうら洗えば白くなる
- いれものがない両手でうける
こうみると、ふかわりょうのネタと通じるものを感じますよね。
音楽のと文学のリズム感は通じる(漱石は多分音楽が好き) - ノーミソ刺激ノート