どうなるか
- 自分でものを考えられるようになります。
- 色んな意見に関していろんな考えを持つことが出来るようになります。
哲学を学んでいない人は「善悪」を簡単に考えてしまいがちです。
それは子供のころなどに用意された「大人にしつけられた善悪」の場合が多いでしょう。
しかし哲学をしっかり学んでいる人は、あらゆるパターンの考え方を学んでいるはずなので、明確に「これだ」っていう答えは出せないことのほうが多いんです。
じゃあどうやって答えを出しているかといえば、
- 自分の利益になること
- 自分の美学に適うこと
これで判断するしかないですね。
テレビのコメンテーターで、専門家として呼ばれている人は、専門家だから正しいことを言うだろうと思われがちです。
しかしそうではなくて、専門家的見地、学問的見地を土台にした上で、結局は上の2つ(自分の利益と美学)で判断してコメントをしているんです。
しかしただの視聴者は知識がありませんから、
「そうなんだ」
と納得するしかないか、賛成か反対の考えを持っていても、
「何となくあってる気がする」
「疑わしいけど専門家だからしょうがない」
と思うくらいしかできないのが関の山です。
これが、哲学を1000冊くらい読んでいると少しだけ論理的に、
「ああ、こういう考えなのね」
とか
「これはおかしい」
と思えるようになるんです。
つまり人の意見に対して納得いくことが出来る。
これは重要なことで、「納得」できないというのはイライラのもとなんです。
ストレスは万病の元ですからこれはできるだけ取り除いたほうが良いです。
「読書をするとストレスが解消される」
って言いますけど、長期的に考えて一番ストレスがたまりづらいのは哲学書を読むことだと思います。
しかし初心者は哲学書を読んでもわからなくてイラつくことが多いです。
なので、まずは漫画版から読むのがいいでしょう。
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とはいえ「哲学」ではすべてを理解することはできません。
「大体この人はこういうことを言っている」
ろいうことを自分で理解することが出来ればOKなんです。
例えば大学の哲学の講師が初学者に「ソクラテスと哲学とは…」というふうに講釈することはできても、本当はどうなのか、というのは、当人しかわからないんですね。
じゃあ意味が無いかというとそういうわけでもありません。
大学の講義は「大体こいういう事だ」という世界の常識・知識を与えてくれる場です。
それの厳密な研究となれば、そのあと何年も研究した後じゃないと分からないような領域なので、大学4年程度ではわからないというのが実際のところです。
それは「赤」という「色」で思う感覚が、人それぞれ違うというのと同じ事です。
表面上は「赤」でだれでも合致しているようですが、本当にあらゆる人が感じている色と、自分の色とがあっているかは分からないじゃないですか。
そういう感覚的側面を「クオリア」(クオリティと同じ語源)っていうんですけど、細かくはここでは控えます。
「哲学」とは
「哲学」と一般的に言った場合は「西洋哲学」のことを言います。
もう一つ「東洋哲学」(中国哲学・仏教哲学など)もあります。
総合して1000冊くらい読むと、哲学の大まかな歴史がわかるようになります。
しかし、しっかり人に説明するようになるには、
- 哲学史
- 主要な哲学
この二点をしっかり読んでおく必要があります。
哲学史は全体のが流れを知るため。
なぜそれを知る必要があるかといえば、新しい哲学は古い哲学を前提に生み出されるものだからです。
だからと言って全部の哲学に詳しくなるのは不可能です。
だから「主要な哲学」を知っておく必要があります。
じゃあ何かというと、
- ソクラテス
- プラトン
- アリストテレス
- デカルト
- カント
- ヘーゲル
- マルクス
- ハイデガー
- サルトル
取り敢えずこんなもんでしょうか。
多いわって思うかもしれませんが、少ないという人もいそうです。
ただし哲学書は読み難いです。
しかし一生の財産になります。
哲学書じゃなくても一生の財産になりうる本はたくさんあります。が、哲学は特別なんです。なぜかといえば難しいからですね。
難しいと言っても理解ができないというよりも言葉がまどろっこしいだけです。
何でまどろっこしいかといえば個人的な考えを話しているからです。
言葉というのは個人ではなく集団で理解できるからこその言葉で、個人的な考えは言葉にしづらいんですね。
そして、なんで一生の財産になるかといえば考え方の根本が分かるからです。
考え方には具体的なものと抽象的なものがあります。
例を出しましょう。
具体的なもの ⇒ 抽象的なもの
太郎
次郎 ⇒ 人間
花子
抽象的なものとは大枠でとらえるものです。
よく仕事上の説明で
「抽象的なものはダメ、具体的に説明しろ」
と言われることがあると思います。
仕事の現場では個別の問題にすぐに対応して実益・利益に結びつかなければいけません。
その為に説明する相手には具体的に「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)をしなくてはいけないんですね。抽象的に説明しては状況がぼやけるだけで意味がありません。
一方、自分一人で考える時には一つの問題を抽象的に考えたりすると、あらゆる問題に対応することができます。
逆に個別具体的に考えてばかりだといつまで経っても共通の問題を解決できなくなります。
つまり人間であればあらゆることに問題を抱えるわけですよ。
たとえば、「太郎の問題」「次郎の問題」「花子の問題」を個別の考えるのではなく、「人間の問題」と大枠に捉えることで一度で三人分以上の未来の問題に備えることができるんです。
つまり物事を色んな方向で見ることができるようになるんです。
仕事では色んな方向に見えてしまったら問題解決ができませんから、解決に焦点を合わせるために具体性を求められるんです。
哲学の政界では「真理」を追究します。
それは要するにあらゆる問題の中で一番の問題は何かという事です。ですから「人間の問題」よりももっと抽象的な問題になります。
抽象的な問題は個別の問題ではないため掴みにくいんです。ですから読み難いんですね。
私は大学院で東洋哲学を中心にやったんですけど西洋にも当然興味があって色々読んでいくうちに逆算すると1000は軽く超えていたのでここにまとめておきたいと思います。
- 人の考え方がどの系統か分類してしまう。
- 西洋人は西洋的、東洋人は東洋的だなと思うようになる。
- 「仏教は哲学」という意見は浅いと思う。
- 西洋人が東洋的なことを考える場合は、東洋の本を読んでいることに気づく。(逆も然り)
- 仏教は中韓に定着しなくて当然だなと思う。
- 答えが見つからなくて当然のように思う。
哲学書って言っても名言集は私は読んだことありません。
が、1000冊読む中にそういうものが含まれていてもいいと思います。
哲学書の場合、いきなり近現代の哲学者の本を読んでもまず理解できません。なぜなら哲学というのは過去の哲学ありきで話を進めるわけです。
例えば法律文を文学的に読もうと思っても読めないんですよ。同じ日本語だから読めるでしょって思ったら読めません。読んだ気にはなれるんですけど。
なんでかというとその専門文というのはその文章の歴史が前提となって書かれているからですね。
言葉というものは本来あいまい、抽象的なものなのです。
日本人全員が分かる文章を書くよりも、法律の歴史をちゃんと理解している法律家であればわかるという文章じゃないとだめなんです。
なんでわかりにくいかって、そんな説明をいちいち書いたら文章が長くなるじゃないですか。
例えば花子ちゃんの家で「おかあさん」という言葉が出たら大体「花子ちゃんのお母さん」のことでしょう。
でも一々「花子ちゃんの」という説明文なんかいれたら文章が長くなるわけです。
それは花子ちゃんの家の歴史に基づいているわけです。法律の文章であればその文章の歴史に従うのは当然の話ですよね。
ですから哲学に関しても哲学の歴史を知っていないと文章は読めないんです。
西田幾多郎に関して学ぶのであれば、デカルト、ベクルソン、ハイデガーと日本の禅宗を少しでも頭に持っていなければ理解ができないでしょう。
これは最初に読んでもちんぷんかんぷんでした。
初めは概説書を読もう
ですから哲学書を読むときはまずは概説書の類を数冊読んでおく必要があります。
大学一年生でも読めそうな例えを挙げておきましょう。
おススメ概説書
このミネルヴァ書房は比較的よくそろえています。一番良かったのは中国思想史ですね。
どれも分厚いので気になったところだけサラッと読むという事を繰り返した方がいいです。まじめに読んだら嫌になります。
本自体は厚いんですけど使われている紙も厚いです。厚め(教科書くらい)ですけど、全部読めるまで行くには上級者じゃないときついでしょうね。
ですから大体の流れを頭に入れる程度に抑えましょう。
間違ってもちゃんと読もうとしないように。全体の流れをつかむことが最優先です。
哲学はデカルトやニーチェなど有名な個別の哲学を知ることに興味が行きがちですけど、個別の哲学は全体の流れありきです。
ですからいきなり20世紀の哲学を読み始めても意味が分かりません。
必ず1ページ目から読み始めましょう。
初学者ならまんがかジュニア新書
でもはじめの内はジュニア新書が読み易いですし、もっと言えば漫画版がいいと思います。子供向けだと思って馬鹿にしてはいけません。
こういうのって本当の子供は読みませんよ。読める子供はかなりのエリートじゃないと読めません。
でもすごく読み易いので、こういうものを使って読まないと損ですよ。理解するにあたってかなりの時短になります。

まんがでわかる! ニーチェの哲学 (まんがで読破 Remix)
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先ほどは個別の哲学は全体の流れからっていう話はしましたが、こういう初級の本であればいきなり読み始めても読み易く作られているのでいいでしょう。
中級になったらこの辺でもいいかもしれません。
ただ上記のやつと比べたらかなりわかりにくいです。でもそれらが頭に入っていたらスラスラ読めてきます。
スラスラはいけますけど、かなりクオリティが高いので、読んでいたら疲れます。筋トレで言ったらかなりのウエイトですね。
読書と筋トレは同じ考え方でやるとうまくいく。 - ノーミソ刺激ノート

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いきなり読んでみて面食らうのもいいかもしれませんが、基本的に嫌になるのでやめたほうがいいでしょう。
いきなり重いウエイトで筋トレをやってもケガするようなものです。
はじめは軽いものでいいんです。どんなに頭のいい人でも初学者がこういうものを読んだら嫌になります。
何しろ言葉が分からないんですから。
結局1000冊も読むとどうなるの
哲学は一つの考え方を学ぶだけでも非常に労力を使います。
ですから1000冊なんか普通は読めません。
西洋に詳しい人は東洋には詳しくなりきれないほど、時間もかかります。
でもそれなりに読んできた身として考えられることを改めてまとめます。
- 人の考え方がどの系統か分類してしまう。
- 西洋人は西洋的、東洋人は東洋的だなと思うようになる。
- 「仏教は哲学」という意見は浅いと思う。
- 西洋人が東洋的なことを考える場合は、東洋の本を読んでいることに気づく。(逆も然り)
- 仏教は中韓に定着しなくて当然だなと思う。
- 答えが見つからなくて当然のように思う。
「西洋人は西洋的、東洋人は東洋的だなと思うようになる」というのは当然な話ではあります。
が、はじめの内は「~的」という事さえわからないんです。
東西両方とも「哲学」と括られますが「哲学」というのはあくまで西洋的であって東洋は「学」や「教」なんです。
それくらい違う考え方なので、ちょっとやそっとじゃ「これはこうだ」と言い切れないんですね。
分かったらかっこいいですけど、こういう語彙力は慣れないと厳しいものがあります。
科学のような必然性があるわけではなく、あくまで人間の考え方なので簡単に分断できませんし、するようなものでもありません。
こういう感覚って読まないとわからない領域なんですね。
哲学書ばかり読んでいたら頭がおかしくなりそうなので併せて小説などの一般書も間に挟んで読んだほうが精神衛生上いいとおもいます。