「子供嫌い」
ってショッキングな言葉ではありますけど、実際にそういう人はいます。
でも、そんな人を批判するのは簡単すぎると思います。
倫理的に言えない人が多いだけで、実際に子供が嫌いな人はたくさんいます。
簡単に批判するとその人がどうして「嫌い」になってしまったのかが分からなくなります。
「いいひと」「悪い人」という判断は簡単すぎる
子供好きを「いい人」子供嫌いは「悪い人」と簡単に判断すると、人を正しく見ることが出来ません。
仕方が無い事情でそうなった場合がほとんどです。
アレルギーのように仕方のないものだと思ってしまったほうが、変に怒りを覚えるよりも健康的です。
世の中の一定数は「子供嫌い」が存在します。
— KEC@古典読み@ブログ@古物商 (@kec_twitt) 2018年10月21日
そうならないように教育することも重要ですが、このようなトラブルはどこかで起こるものなので、3歳児まではタクシーが格安で乗れたらいいのになと思いました。
そもそも、子供関係に限らず電車はトラブルが起きやすいのです。
子供を批判する人、嫌う人に対して批判が出ますけど、それは仕方がないんですよ。
世の中には絶対数で子供が嫌いになる人がいます。
その人を説得したってしょうがないです。
子供にやさしいのが聖人、子供が嫌いなのは悪人
みたいな考え方は固陋(頭の固い)な考え方です。
誰だって子供が可愛いと思うし、誰だってムカつくと思うもんです。
自分の中にそういう気持ちがあるんがから、世間もそれと同じくらいの含有量があるもんだと思います。
人を変えるより自分を変える方が簡単だという話が有りますがその通りです。

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考え方を変えるということ
「君子豹変」(くんしひょうへん)
という言葉がありますが、「立派な人はコロッと変わるものだ」
というような意味。
立派な人というのは自分の考えに固執するのではなく、良いと思ったことにすぐに乗っかるんです。
世界は自分の解釈次第なので、人の解釈を自分に力づくでどうにかするよりも、自分の感覚を変えれば世界はかわるんです。
そっちのほうが楽ですし。
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良い悪いとは別の「仕方がない」という決着
「好き嫌い」や「良い悪い」は簡単な二項対立で、別の考え方をする人はストレスが少なく健康的に過ごしやすくなります。
それが「許容」「寛容」という考え方。
簡単に言えば「仕方がない」と思ってどちらかに振り切らず、「受け入れる」という方法。
児童施設を高級住宅街に建てることに対して反対する人を批判してる論調があるじゃないですか。
反対する人、どうやったって毛嫌いする人はいるんです。
その人を説得するのは無駄な事なので何を建てるかは説明だけして建てちゃえばいいというのが本当はいいんです。
身近な例を考えてみても、住民側の反対というのは大概が「わがまま」で終わる話なので建築物は普通はそのまま建ちます。
ただそうなると色々問題になるから「説明しますよ」という事で説明会を開いてるだけだと思います。
これは説明される側もする側も、両者の損得を考えて「受け入れ合う」「許容し合う」というある意味面倒な作業です。
しかしそれを一枚挟むことで人の心は大きく変わります。
何でも合理的に、善悪ばかりで判断すると人の心は荒んでしまいます。
大概は裁判になっても、住民側の意見は通りません。
そもそも反対してるのは一部の人だというし、ほとんどの人は仕方がないことだと思うものです。
人の倫理観を責めているのでは疲れるだけで、何にも生み出せません。
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