読書の冊数ばかり気にしている人が圧倒的に多いですけど、大事なのは
「心が動いているか、どうか」。
「心が動いているか」というのは、読書で感動した時は覚えていますけど、しばらくしたら忘れてしまいそうで不安になりませんか。
でも一度、動いたパワーというのは抵抗がなければ動き続けるものです。
筋トレもそうだけど、3か月までは、周囲は気づかないけど自分にとっては大きな変化が起きていることに気づけます。
周囲から評価がされなくても微妙な変化って自分ではわかるんですよね。
同じように読書でも一冊をまるまる読まなくても変化はします。
それは心が動くかどうかですね。
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物理空間では抵抗があるものですけど、読書は心の中での話なので普通は抵抗がありません。
ボケた老人であっても、若いころに覚えた感動の話はいつまでも話ができるようになっているという事があるのはこういう事。
細かなところは忘れてしまう時ことはあっても、何かの刺激があればすぐに思い出します。
ですから忘れることを意識せずにドンドン貪欲に読書しましょう。
記憶というのは繋がっていれば忘れないものなので、勉強であっても基本的に「忘れる」ということを気にしなくてもいいんです。
じゃあ「忘れる」とは何かといえば、記憶と記憶のつながりが切れてしまうから忘れるんです。
ですから記憶をする際には勉強そのものに関係なさそうな「ゴロで覚える」や、「五感で覚える」というのがあるんです。
受験のテクニックでそういうのがありますけど、それは物事の本質を書くような覚え方なので、受験が終わったらそこまで追求するような技術ではありません。
受験の技術が発展していなかった時期の昔の大学生のほうが頭がよかったのはそういう事だと思うんですよね。
ゴロで覚えずに、ちゃんと理由と必然性を考えながら考えていたんだと思います。
じゃあみんながそんな風に正統派な勉強ができるかと言ったらできません。
皆が大学に行けるように発達したのが小手先の技術です。
しかし本当に頭のいい人までそれに手を出してしまったから、学力が落ちてるんじゃないかと思うんです。
もちろんチャンとしている人もいますけど。
勉強をするときに試験に出てくる箇所だけ覚えて、他のことは勿体ないから覚えないという人がいますが、それはかえって間違いです。
先に覚えるべきことを覚えた後に、試験には出ないけど関係する知識というのを覚えることで記憶が定着します。
ですから授業の時に先生が言う「これは別に覚えなくてもいいけど」というようなことは余計な話で、なんでも楽しく関連付けて覚えればいいんですね。
それと同じように、読書に関しても小手先の「冊数」を気にしなくなった時が、本当の読書だと思います。
冊数を読んだからと言って頭がよくなるわけないじゃないですか。
大事なのは継続的に読むことです。
でも人間のほとんどはその域に達する必要がないので、ほとんどの人はたくさんかってたくさん読んで消費していればいいんです。
自分は違う、「本当の読書をしたい」というのであれば、古典を読みましょう。
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