ノーミソ刺激ノート

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「空気を読む」の日本人の性質について考えてみた。

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「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

私は読書にこだわってますから、ついつい「読む」という言葉に引っかかってしまいました。

 

とはいえ、これが流行った時は何の疑問も持っていませんでしたよ。

 

「読む」っていうのは日本語の中では

 

  • 「相手の中に組み込まれる」
  • 「相手を自分に組み込む」

 

っていう両方の効果があると思います。

えすから「空気を読む」って言葉が成り立つと思うんです。

 

でも、この言葉は一方的に使われるのは「組み込まれる」のほうで、大きな全体の一部になる感覚があります。

 

別にこのことを否定する気はありません。

これ自体は日本人の大きな性質ですし、いいことになりえます。

 

反対勢力はそれによって少数派がバカを見るという論調がありますが、人間は少なからずそういう事があるので仕方が無いという気もします。

 

空気を読むことは日本人的な性質の大きな特徴だと思います。

これを否定したところで仕方ないレベルだと思います。

 

というのも、歴史の中で一つの集団の性格が変わったことなんてないからですね。

 

それは集団に限らず、個人でもそうでしょう。

 

読書をいくらしても根本は変わりません。

 

何かの本で、「学問は人格化が割るほどやるのが読書だ」っていうようなことが書かれていたのを記憶しています。

 

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これはそうだと思います。

 

読書をすると認識が変わりますから、その後の行動が変わります。

行動のパターンが変わってしまったら、もうその人は前の人と別人と考えてもいいかもしれません。

 

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じゃあその人の過去を全部無くせるのかと言ったらそんなことは無いじゃないですか。

ですから一番抽象的な傾向は変わらないんです。

 

でも変わることは変わる。

こういうことをうまく言語化したいですけど、どこが変わりえて、変わりえないのか。

その峻別は、大きいものは年齢と関係しそうです。

 

「三つ子の魂百まで」(三歳までの性質は一生続く)

 

って言いますからね。

簡単にできるものではないと思います。

 

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