落とし穴とは
それは「無意味な本を読んでしまう」ということ。
たくさん読もうとすると、「表面上」の「数字」や「見た目」に気を取られます。
「たくさん読みたい」と思うのは教養を付けたいからでしょう。
しかし教養を付けることと数字を読むことは別のことなので両立が難しいんです。
「教養を付ける」という気持ちは書かれていることの本質を読もうとする体力のいることです。
なので冊数に気を取られると時間を長く感じます。
本当に楽しんでる時は「え、もうこんな時間?」と時間を忘れるのが普通。
読めていたとしても、ちょっと高度な話になると途端に掴みかけた言葉を落としてしまいます。
これが「落とし穴」です。
だから「年間目標100冊!」などと読む内容ではなく、数字に気を取られます。
数字ではなく書かれている本の中身が自分のためになるかどうかを判断しましょう。
と言っても全然読んでいないうちは分かりません。
ですからここから先は「自分はある程度読んだ」と実感している人だけ進んでください。
どうやって読むかはこちら⇓
【選び方】どういう本を読んだらいいか - ノーミソ刺激ノート
読み慣れた簡単な本、流行の本を読めば100冊なんか読めますよ。
読み慣れた本は共通認識がたくさんあるので読み飛ばしが出来るようになります。
たとえばビジネス書や自己啓発本は似たことが書いてあるので、読み慣れればドンドン読めてしまいます。
しかしそういうものは実践ありきなので読むだけでは意味がありません。
本を読む大きな意味は新しい価値観・言葉に触れることでしょう。
文学系は新しい価値観や言葉の使い方に触れるので、実践的ではありませんが人生全般に広く関係していきます。
なぜなら言葉を持つと解釈ができるから。
具体的に言えば読書をしていない人は流行りの言葉や、誰でもいいそうな簡単な言葉を使います。
ツイッターを見ていれば大体見つかります。
一方読書をしている人は、その人しか言えないことを書きます。
つまり「自分で言葉を適切に使うこと」。それが独自の解釈です。
文学オタクの中高生は難しい、物珍しい言葉を使うことがそれだと思っていますがそうとは限りません。
しっかり読者へ配慮がある言葉を使うことが重要です。
「配慮」は「分かりやすい言葉を使う」という事ではありません。
純文学であれば特殊な言葉の使い方をしているので、一度や二度読んだくらいでは身に沁みません。
だから心に負担がかかりますから、ビジネス書のように誰でもバンバン読めるものでは無いので数を稼げません。
数を稼ぐことに集中するとそういうものから避けます。
わからない=時間の無駄
と考えてしまうからですね。
分からないものに触れると「読んだ」ことにならないと思うからですね。
しかし読書の醍醐味は「分からないものを抱えること」が大きな価値だと思います。
数を数えない効用
自分にはわからないことがある。
わかりえないことがある。
ある人にとって見れば当たり前のことですが、小説や哲学書を読んでいない人はその事に気づきにくいです。
「でもわからなかったら覚えられないじゃないか」
と思うかもしれません。
しかしある程度読んでいくと、人生のある所で「あ、これってどっかで読んだことがあった気がする」という場面が出てきます。
これが読書の蓄積です。
そうするとその場面で間誤付かずに済むんですね。
「分かること」に重点を置いていると分からないことに関してイラついたり、よくわからない人のことを「バカ」「頭が悪い」と言って非難します。
自分には見えている、分かっている。
これは確かに自分を救うことになりますが、わかりえない「事」や「人」はいるんです。
でも分かると勘違いしていると自分と見ている世界が違う人を「バカ」にするんです。
だから数を追ってはいけないんです。
文学を読む効用
具体的に文学を読む効用を言葉にしますね。
少し興醒めしますが敢えて言うと、同じ本でも何度も読むことで書いている内容を引用出来たり、他の本を読んだときにふと過去の本の言葉が浮かんでくるようになります。
そういう難しい本にチャレンジしようとすると、1冊読むのにも苦労します。
それを年間続けたら自分ではわかりにくいですが、過去の自分を思い出すと「読めるようになってる」と気がつけます。
その時に振り返りとして「今まで何回・何冊読んだっけ」くらいのことはしてもいいでしょう。
間違っても読みながら数を数えてはいけません。
全然楽しくないので続きません。
体験談
高校のくらいまでは冊数を気にしていました。
でも、本当に読むべきものがたくさんあるとそんなこと考えられなくなります。
例えば私は大学院で漢文を読んでいましたが、漢文を読むと一字読むのに何日もかかります。
漢字一つに色んな読み方があるからですね。
文学系の研究をしている人は同じ単語や文字を繰り返し調べますから、冊数なんか気にしていられません。
そういうと、「調べるための本もカウントすれば」と思うかもしれません。
もちろんそれをカウントすれば結構な数字になるかもしれません。
が、そんな冊数をカウントしているよりも、早く本当の意味をすることのほうが大切ですから、冊数に気を取られている意味なんか無いんです。
数字を読んでるだけで体力使いますからね。
そんな体力使うくらいなら、直ぐに答えが出る本を読みたいから調べる冊数は少ないほうが良い。
そういう風に考えると数字を読むのは無意味だという事に気づくでしょう。
ではそういう一字に苦労をしている人と、簡単なビジネス本を100冊読んでいる人とでは、簡単な本を読んでいるほうが上等なのでしょうか。
表面上はたくさんの数字を読んでいますが、長い目で見ると、10年も経てば読める種類は歴然と違ってきます。
難しい本を読んでいくと選択肢が増えていきます。
自分の範囲内の本ばかり読んでいると「難しそうだからやめよう」と思う本ばかりになります。
「読みたい本」は重要
そういう難しくて避ける本があってもいいですけど、私の場合は誰でも知ってるような文学作家や哲学者の本は私は読みたいと思うんです。
一方、ニガテな数学やマイナーな外国語の本は少し諦めています。
この「読みたい」って思える本はたくさんあるわけではありません。
そう思えるってことは人生において重要な本だという事。
そういうものは必ずあるはずなので、いきなり難しい本は大変ですから簡単な入門書や漫画版から読みましょう。
そうすると自分が本当に読むべき本を選択できるようになります。
ずっと同じレベルの本を読んでいると、本当に知りたいこと、読みたいものにも気づかず、ただ漠然と考えることしかできません。
カオスな本のススメ
世の中には何をどう判断したらいいか分からない、混沌とした問題があふれています。
そういうものは不安になりますし、ストレスになります。
それを解消するには、普段から「答え」がある本を読むのではなく、カオスな本を読んだほうが良い。
それは純文学小説や、哲学書など。
これらはビジネス書のように「成功するにはこれ!」と方法を説いているのではなく、ただ過去の人の言葉を読むものです。
それを読者は解釈するんです。
すると頭のいい人・人気がある人が言ったことに漫然と同意することは無くなり、自分の意見が持てるようになります。
解釈すると自分の言葉が生まれます。
すると自分の考えが生まれてきます。
「アウトプットしたい!」の落とし穴
「アウトプットが大事だ」と流行ったことがありますが、そういうビジネス、ハウツー本を読んでもアウトプットはできません。
出来たとしても書かれたこととおなじようなことを薄めてアウトプットするのが精々です。
本当にすべきアウトプットは、
「昔読んだあの本にこういうことが書いてあったような気がするけどこういうことかな?」
というように
「あんまり記憶にないけど、大体こうだった気がする。それに今の現状を加えるとこう解釈できるな」
というような、フワフワした記憶を自分で固めていく作業です。
そうすると自分の言葉が出来上がります。
するとその言葉はただの「受け売り」ではない、世界に一つの「アウトプット」になります。
そして無意味に本を読むと、その内に読むことが嫌になって読まなくなってしまいます。なぜならビジネス書は結局、実践するためのカンフル剤なので、人間的な深い悩みの解決にはなりません。
しかし古典などの場合は、解釈がいくらでもできますから何度でも読むことが出来ます。
だから学校では自己啓発本やビジネス書なんか読まないんです。
蓄積にならないですからね。
最終的な目標が「たくさん読みたい」なのに、落とし穴にはまると「読むのが嫌」になってしまうんです。
「本をたくさん読みたい!」
と思うのは問題ではありません。
しかし、だからと言って、すぐにたくさん読もうとすると、大概落とし穴にはまります。
「自分は本を読んでないから簡単な本から読もう!」
というのは良いです。
「落とし穴」を埋める方法
簡単な本を読むのであれば教養が蓄積されるものがいいですね。
その教養が「落とし穴」を埋めてくれます。
例えば文学や歴史や哲学、科学など、学校で学ぶものの漫画版とか。
しかし今売れている本は自己啓発本やビジネス書です。
本屋さんやアマゾンなどの売れ筋、平積みを見ると、それらが売れますから見やすいところに有ります。
「これも本だから読んでみよう」
と思って読むと、カンフル剤のように元気になれますし、簡単に読み進められますから読んだ気になります。
しかしそれを一冊読むのと、教養本を一冊読むのとではその後の読書に差が生まれます。
ビジネス書を何冊も読んでもビジネス書しか読めませんが、教養の本を読むと、他の教養の本も読めるようになります。
すると、一年読み続けると、一年前は考えられないほど難しそうな本が読めるようになってきます。
では一番たくさん読める様な、「教養の種」になる本はどんな本かというと、語学の本です。
語学、特に英語は人気のコンテンツですが、人気の理由は「話せたらかっこいいから」です。
しかし教養目的で読んでいる人はそういう理由では読みません。
教養の種になるから読むんです。
- 英語の本を読みたい
- 外国人が何を言っているのか直接知りたい
- 海外小説を原文で読みたい
そういう志の人が読みます。
むしろそういう人でないと外国語は上達しません。
自分のカッコつけのためだけで外国語が上達した例は少ないでしょう。
成功する可能性が高いのは「他者」に関心があるかどうか。
同じ英語を学んでいるという表面上は同じような人でも差が生まれるのはそこです。
ですから自分で判断しなければいけません。
この「自分で判断」というのがポイントです。
読むべき本は人によって微妙に違います。
ただ単純にたくさん読もうとおもっても、自分で判断せず流行の本ばかり読んでも意味はありません。
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