言葉に強くなる
言葉に対して敏感になるんですね。
なぜなら言葉を知るから。
言葉は自分で作り出せるものではなく、人から教えてもらうものです。
たくさん言葉を知って、その中から選び取ってから、自分の表現を作ることが出来るんです。
言葉を知るという事は、人を知るという事です。
一人で生きる場合では、言葉はあまり要りません。
他者がいるからこそ、言葉がいるんです。
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そしてその言葉が自分のためになります。
人生に困難はつきものですよね。
でも、言葉があれば良いように解釈ができるんですよ。
だから極端な話、黒いものを白くすることが、言葉の上で可能です。
チマタの考え方を自分の言葉で再び解釈することができるようになります。
そして仕事に役立つんです。
世の中の仕事という仕事は人に対して利益を生むものが尊ばれます。
ということは人のニーズが分かるようになるということです。
人は言葉に拠って世の中を見ているので人の発する言葉一つで得られる情報量が違ってくるんですね。
例えば「何を言うかではなく、誰が言うか」ってよくいうじゃないですか。
それってどこでも聞く言葉ですか。
だからその言葉をその場その場で吐き出すことによって、周囲の反応を集めることができるようになるわけです。
が、はっきり言って20歳も過ぎていれだ誰でも思うことなので陳腐も陳腐な話ではあります。
ですから、これを読んでくださっている方には、もう少し上級のものの考え方ができるようになってもらいたいと思います。
まずたくさん読むと起こる良いことですが、私は文学、哲学、宗教なんでも読みます。
ですから、小説だけとか哲学書だけをたくさん読んでいる人とは感覚が違うということだけ言っておきます。そのうえで思うことを書きます。
- 言葉に対して敏感になる。
- 日常的に話される言葉に疑問を持つことができる。
- 陳腐な言葉を再解釈できる。
- 話の元ネタが何かわかるようになる。
- 注釈よりも自分の理解の方が上回る。
「注釈よりも上回る」
というのは、私の場合は中国哲学書を専門的に読む訓練をしたので、近現代の小説に書かれているような古代中国の出典の文句であれば注釈以上のことを知っているわけです。
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例えば漱石、中島敦なんかですね。
しかし注釈とは少ない字数でまとめなければいけないので、注釈者よりも詳しいとは限りません。
しかしはじめの内に注釈を見て
「どういうことが書いてあるかな」
と楽しんでみることができます。
言葉が使う人によって異なる理由
「何を言うかではなく、誰が言うか」ということですがこれってどういう論理でこういうことが起こるかって疑問に思いませんか。
そのことに関して考えたいと思います。
言葉は基準である
言葉って単体では意味がないんですね。
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筋肉質の人がダイエットの重要性や健康に関して話をするのと、でぶっちょが健康の話をするのとでは全然違います。
人は見た目で判断してはいけないと言いますが、それは何も基準を知らない間に通じる子供の論理であって、見た目は重要な判断基準です。
子供には基準となるものが少ないのでしつけとして使うべきでしょう。
でも大人になっても盲目的に信じているのはどうなんでしょうか。
読書はそういう「基準」を増やすためにすべきなんです。
若者が批判的な行動ができないというのもそういう基準がないからです。
たくさん本を読んでいれば色んな考え方があっていいと思えるはずです。
なのに、いつまで経っても子供のような正義感でしか戦えないのは読書量が少ないからです。
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言葉は変動する
じゃあその判断基準って誰が決めてるんだといえば自分自身です。
かといって見た目だけで選んでは正当性がないので多くの本を読むとそのたびごとに解釈をすることができるんです。
でもそういうことをほとんどの人は知りません。
「言葉」というものを絶対的な価値のあるものだと信じてしまうんですね。
「貨幣」と同じように絶対的な基準があるものではない虚構なので、その場その場で相場が変動するものです。
なんで言葉が絶対的なものだと勘違いするかって「倫理」や「正義」が絶対的なものだと思うからなんですね。
道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
つまりその場その時で変化するものです。
相撲の土俵に女性が上っちゃいけないって話が有ったじゃないですか。
あれもあくまで原則という話で、法律も原則と例外があるわけです。
女性が穢れたものだという嘘をつくテレビがありましたが、宮中の鏡を守っているのは女性ですし、伊勢神宮の祭主は伝統的に女性です。
現在は黒田清子さん(今上天皇の娘)です。
つまり例外状態では原則は通用しないんですよ。
伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」 (ちくま新書)
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かといって道徳を規定することは普通の人にはできませんから、普通の人は普通の道徳を守るしかありません。
じゃあ普通じゃない人はどういうことができるかって道徳を決めることだできるんです。
道徳は社会が決定する
絶対的なものは存在しない
人を殺すのがダメとか、麻薬を使っていけないとかは絶対的な悪のような気がするかもしれません。
が、それは今の社会の於いてそれをすることが人にとって有益でないというだけのことです。
じゃあ正義は誰が決めたかといえばだれが決めたものでもないんですね。
時代的にそう解釈されたものです。
法律家や政治家が決めたように思えるじゃないですか。
それは陰謀論を信じすぎです。
人は一人で権威、権力を持つことはできません。
文学で言うと『マクベス』が分かりやすいです。
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統治者だろうが人間です。国というものの統治自体には武力がいりますが、人間というのは言葉でものを考え、意思を人に伝えるものです。
人に伝えるには説得力が必要で、過去の文献や現在の状況に合わせて、大衆が納得できるような法解釈しかできないんです。
人を説得できるような解釈というのは人に対してだけではなく自分に対してもそうです。マクベスは自分自身に王となる正当性が見つからずに苦しむ話です。
ハイデガーは人間の最高の状態を詩人だといいましたが、それは何でかというと詩人というのは言葉をもって世界を解釈する存在だからですよね。
それができてこそ人間だということです。
中国の科挙でも詩作が科目に据えられていたのはそういう理由だと思います。
(言葉を創作することが当時は詩しかありませんでした)
陰謀論を信じるのは馬鹿
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日本においては空気が支配してると思われがちですし、欧米では世界の有力者、王族貴族、の陰謀論が流行りがちです。
でも私は解釈的には欧米だって空気で支配されてると思うんですよ。
なんせ言葉というのは個人が決めることができるものではなくて社会が決めるからです。
言葉というのは誰経って支配できるようなものではないんですよ。
ある程度こういう字を使おうとか、こういう言葉を使おうとか、教育することはできますが言葉は個人的な態度そのものなので、奴隷になろうと収容されようと個人の言語(態度)を支配することはできません。
『夜と霧』でもそういう話がありますよね。(『態度価値』で検索しよう!)
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これって意外じゃないですか。
でもキリスト教的世界観では誰でも一個の人間として尊重されている祖信じられている一方、行動によって何でもできるという考えがあるため、誰か一人によって多数が支配できるという思想が生まれやすいんですね。
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なんで欧米で陰謀論が流行るかといえば人が環境を支配できるというキリスト教的世界観があるからです。
別にそれを批判しようというのではありません。
言うまでもなく人が行動することによって環境が変わるということは十分あります。
砂漠宗教であるユダヤ、キリスト教のあの流れでできた宗教では人の行為によって世界に変化が起きるという発想が発生するのは当然だと思います。
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ですから文章を書くときはいろんな本を読んだほうがいいというのは一理あるんですね。
いろんな本を読めば解釈の幅が広がって、場合によっては正反対のことが論理的に伝えられます。それは悪いことではなくて、人間の活動そのものなんです。
本を読んだほうがいいというのは主体的になれるということです。
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