「教養」があることをただ単に博識と勘違いしてしまうことが有ると思う。
「教養」と「博識」は似て非なるものである。
たとえば、
オススメの小説や漫画や書籍は何かというテーマがネット上で多く見られる。
有名な受賞作品や誰でも聞いたことのある作家や作品を読むことで、まず間違いは起きないから。
小説を例に挙げると昔の直木賞、芥川賞作品。
さらに言えばその中でも有名作家の
- 井伏鱒二
- 山崎豊子
- 安部公房
- 松本清張
まず間違いない。
ノーベル文学賞作家の川端康成と大江健三郎は言うまでもないし、川端の弟子の三島由紀夫の言葉のセンスは日本文学随一。
しかし直木、芥川賞は新人賞の部類なので有名作品の中でもレベルが低い場合が多い。
絶対に間違いないのは教科書に出てくるような
夏目漱石や森鴎外など。
基本は小説を読むことが趣味でもない限り有名作家、作品、受賞作品以外の作品を読むことは時間の無駄。
人生の時間は限られているのに下らない作品を読む暇があったら絶対に当たりの作品を読んだほうが効率がいいに決まっているだろう。
何の効率かというと、教養を高める効率である。
有名作品は理由があって有名なのであり、読みやすく且つセンスがいいので学べる箇所がたくさんあるということと、有名作品はたくさん読まれているので何かと話題に上がることが多い。
それを読んでいることで話題に溶け込みやすい。
話題に溶け込めるとそこで新たな情報が手に入り易くなる。
「教養」というのはそういうもの。
誰も知らないようなマイナーな知識をひけらかして悦に入る馬鹿がいるが
マイナー知識(雑学)をたくさん持っていたって教養があるとはいえない。
誰でも知ってるようなことをたくさん知っていることが教養。
教えてもらえる要素、アンテナが多いから細かな情報を人から教えて貰いやすくなる。
まさに「教え」てもらえる「素養」。
教養があれば雑学だろうがオタク知識だろうが勝手に入ってくるがその逆の蓋然性は低い。むしろ人から博識だと思われるので教えてもらえなくなる。
これは知的教養に限らずメジャースポーツでも同じことである。