大学で「教育」を勉強すること
大学では哲学を専攻して大学院まで行ったんですが、教職をとろうと思って、教育学を勉強していました。
個人的には勉強して本当に良かったと思ったんですね。
本当に今後の人生の考え方が変わった気がします。
つまり、「哲学」と「教育学」で、同じ大学内の学問でも考え方が全然違うんです。
他の学問同士でもそうでしょう。
文化が違うと言ってもいいです。
外国のような感じです。
逆に言えば哲学ばかり集中的にやっていたら哲学的な考えばかりになっていただろうし、教育学ばかりだったら、そっちの考えに凝り固まっていたなと考えています。
子供の教育について
子供が勉強をしないと嘆く親が多い。
塾で講師としてバイトをしていた頃、当然ながら子供の教育に奮闘する親御さんが多く、親の子を思う気持ちは素敵だな。
と本当によく思ったけど、奮闘する割には教育に関して勉強していると思われるような
親御さんは皆無だったんです。
どんなに頭の良さそうな人でも教育学や児童心理学を理解していない。
車の免許取らずに車を運転したら絶対に事故になるし、
泳ぎ方知らずに海に飛び込んだら絶対に事故になるし、
教育を勉強せずに教育活動したら、事故になってませんか?
車や泳ぎは下手すれば自分が死にますけど教育は自分が死なないから勉強しないんでしょう。
子供は死にますけどね。
子供のためなら死ねるという下らない理想論が跋扈する今日この頃。
子供より自分が可愛いと感じる人間の本能を受け入れた上で子供と接するべきです。
というのは理想ですけど実際の生活は難しいです。
理想と現実は違う
「教育学」を勉強すると、理想主義的になりがちです。
何でかというと理想の教育の形、社会の形を求める学問だからです。
塾は小中学生を対象としたものなのでその親はだいたい30~40代。
確かに私が教育学を学んでいるのは学校の教師になるため、教職免許を取ろうとそれに必要な大学の授業をとっているからこそ勉強しているんですけど、子供が生まれているのに子供に関してまともに勉強をしている人があまりにも少ない。
というか見た事がない。
というように「実状と現状が合ってない!」事にイラつくんですね。
そのイラつきの様子が、9年くらい前の大学で私が教育学を勉強してた頃のエラそうな文章が残っていたので、過激な部分は排除して載せます。
今はそんなに熱くはならないし、みんながみんなこういう感じではないとはいえ、教育に携わる仕事の人が熱くなるのは「教育学」という文化のDNAが入っているのが大きいと思います。
大学の頃にかいた「教育学」学びたての文章
子供が居るなら仕事は子供のためにするべきです。
人や自分の気持ちが分かったら心理学とか脳科学は存在する訳ないですし、めんどくさいなら親失格ですし、祖父母に教育の責任はありません。
3,40年も生きてれば世の中甘くないって事くらい分かってるはずなんですけど、子育てを甘く見てる人が多い。
根本的な理由は、
「後悔しない」
ということではないでしょうか。
テストが終わればもっと勉強すればよかったとか思うことはあっても、子供は人間ですから子供の成績が悪ければ子供に責任転嫁できてしまう。
勉強しないから悪いんだと。
あんたは勉強してるのか?
子供がなぜ勉強していないのか
理由を把握しているのか?
結構前に、もう終わってしまった番組ですが、「エチカの鏡」で脳科学おばあちゃんこと久保田カヨ子さん(78)が、自分の息子が
生後7ヶ月で歩き始め
(通常1歳前後)
1歳で3000単語を話し
(通常2~3歳)
2歳で平仮名を読むことができた
(通常3~6歳)
これに関して、「子供は実験台だ」と断言していました。
つまりは子供を自分の作品として責任を持って真剣に育てたということでしょう。
・・・・とまぁ勝手なことを書いてきましたけど、
やっぱり勉強するにはそれなりの機会がなければ勉強しない。
高校生でも自由に働く人が普通になります - ノーミソ刺激ノート