ノーミソ刺激ノート

読書やスポーツ、言語に関することを書きます。※本ページにはプロモーションが含まれております。

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たまには日本語の話を

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日本の大学では
日本語で授業が行われています。

・・・・・・

そんなの当たり前だろって?
いいえ、違いますよ。
世界ではその国の言語で授業が行われている
大学のほうが珍しいくらいです。
インドではヒンドゥー語が使われてはいません。
英語です。
アフリカの大学では英語かフランス語です。

どういうことかというと
大学で扱うような
文化的、学術的な言葉というのは
大抵がヨーロッパ起源なんです。
その言語にそのような言葉が殆どない場合、
一々言葉を作り出さなければならず、
言葉を作り出す作業というのは容易ではありません。
例えば、
モンゴル語で「汽車」を言いたい場合、
日本語に直訳すると
「モクモクと煙を出すもの」といいます。
「汽車」という単語がない為に
このように
二次的、三次的に単語を組み合わせて
また一つの単語を作らなければならなくなります。
そうすると自然と
ヨーロッパ系の言葉を使うようになるわけです。

一方日本はどうか。
日本にも昔は文化、学問があまりなかったので、
海外から知識を輸入していました。
しかし、
言葉となると、日本には強い味方がいるのです。
中国から輸入した
「漢語」です。
表意文字である「漢字」を使ってそれに意味する
言葉を自由に作ってしまったんです。
「科学」「化学」「物理」・・・・・。
これらは日本で生まれた言葉で、
あまりにも便利なので中国でも使われています。
漢語にしきれない概念もあります。
しかし、それは
「カタカナ」にしてしまえばいいのです。
中国語では漢字(簡体字)しかないので
何が何でも漢字にしなければなりません。
これは大変ですよ。

このように日本の先輩たちがこのような言葉
を作ってくれたお陰で、
我々大学生が日本語で学べるわけです。
ありがたいですね!
それが故にいつまで経っても英語が上達しないのですが・・・・。
(英語教育が未だにコミュニケーション中心ではなく
文章読解中心の理由はここからきています)

余談

そして、漢字を書く場合、
もしその漢字が分からなければ
ひらがなにして書いても良いんです。
え?
当たり前だろって?
しかし
日本語を勉強しはじめの外国人は
この事実に
結構な割合で驚きます。
メールなどの軽い文章ならともかく
正式文書まで!?って感じ。
まぁそういう感覚は分からんでもないですよね。
「佐藤太郎」でも「さとうたろう」でも「サトウタロウ」
でも同じ人間の名前なんて外国語には普通ありません。
小学一年生の教科書の文章と
大学生の専門書の文章が
同じ言語には見えないそうです。


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