ノーミソ刺激ノート

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俺が話す言葉が日本語だ!文句あるか!

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日本人が日本人の話す言葉にに対して
文法的に間違っている
と指摘することがあるが、
本来これはおかしいことである。
何故なら日本に住む日本人の話す言葉が
「日本語」なのであって、
「文法」はそれを体系化したものに過ぎないからだ。
つまり、
「俗語」があっての「文法」、
「俗語」を観察し、その表現の可能性を
説明するものが「文法」なので、
日本人が日本語の文法を日常の会話で
意識するのはおかしい。
簡単にいえば
日本人が話す言葉は日本語なのだ。

パスカル、ラ・フォンテーヌ、ボシュエ、ヴォルテール
あれほど素晴らしいフランス語が書けたのは、
彼らが文法を学ぶ必要がなかったから。

という言葉があるように、
フランス文学を書く場合、
フランス語が母語である彼らだからこそ、
素敵なフランス語が書けるのであって、
日本語が母語の人間には到底敵える可能性はないのだ。
外国語を勉強する場合は文法を学ばなくてはならない。
母国語を勉強する場合は普通、文法は勉強しない。
何故かというと、「文法」というものは
個人の内部から発生するものだから。
他人の内部から発生したものは学ばなければならないが、
自分から発生したものは学ばなくても使用可能なのだ。
そういう意味では外国語を学ぶとは
臓器移植に似てるのかもしれない。
(医学的知識はないけど)
本来理解不能なものを「文法」という裏技を使って
自分に取り込むのだ。
それだけ「言葉」というものは
パーソナルな概念なんですね。


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