ノーミソ刺激ノート

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「語彙力」と「単語量」

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「語彙力」は「単語量」の違い

「語彙力」は楽しんでつけるもので、「単語量」は楽しみとは無関係につけるものだと思います。

 

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語彙力本が流行ってますね。

けど、そのほとんどが難しい単語や用例を並べた受験生が使うような英単語帳のようなものばかり

 

でもそれって勉強にならないわけではないですけど、本来的な語彙力とはちょっと違う気がするんです。

受験勉強の要領は確かに重要です。

 

でもそれは、ただ機械的に覚えるだけで、楽しいものにはなりにくいし、人間的じゃないと思います。

人間的というのは楽しむことです。

 

せっかく受験勉強が終わって社会人になるのに、まだ機械的に勉強するのはもったいなくないですか。

これは完全に趣味の問題ですけど、読書は楽しんだほうがいいと思いますよ。

 

瞬間的な受験勉強であればいいかもしれませんけど、長く人生の中で読書をするんなら楽しまなくちゃ損です。

楽しくないことをやるのは無駄じゃありませんか

 

私が思う「語彙力」と「単語量」の違いはこうです。

 

  • 語彙力:柔軟性があって、単語同士が繋がっている。
  • 単語量:単純な単語数。

 

「数」というものは非常にわかりやすいものですから自分の能力が上がったかどうかが分かりやすいので勉強に効果的だと思います。

単語数が増えたら人間が作った決まった範囲内でのテストには有利でしょう。

 

が、いくら単語数が増えても実際的な運用ができなければ楽しくないですよ。

「彙」というのは「集まり」という意味です。

集まりとは何かといえば関係性を持った集合のこと。

 

関係性がなければ集める理由はありません。逆に言えば集めたものは何かしら関係するものです。

「語彙力」というのは単純に「単語量」という数の問題じゃなくて、単語の相互の繋がりが大切なんです。

 【関連記事】

語彙力が上がると何がいいのか 

 

辞書を読むと本当に語彙力が上がるか 

 

難しい単語を知っていたからってそれはただの知識であって道具です。

人間的な楽しい作業はそれを使う事でしょう。

 

つまり運用能力です。

単語同士は無関係じゃなく繋がっています。

それをどう選択して動かすかはだれかに決められたものではなく、自分で決めることができます。

 

現代的な用例を学ぶのに手っ取り早いのは芸人のラジオを聴くことでしょう。

【関連記事】

言葉の力をつけるためのラジオ

 

ラジオというのは基本フリートークで展開します。

口頭だけでウケを狙わないといけません。

しかもテレビと違って2時間以上の番組が多いんです。

 

そのたっぷりの時間を使って有機的につながった言葉の掛け合いは芸術的でさえあります。

それぞれの芸人が誰でも知ってる言葉を使いながらも共感を持てる配列でありながら、新規性のある使い方をするから「ウケ」るんですね。

疑うことが人間的

自分の言葉を配列する第一歩は、どんな話に対しても「本当にそうか?」と疑うことです。そうすることで「自分の意見」というものが持てます。

 

多くの人は自分の意見が持てないのは何ででしょうか。

「多くの人は馬鹿だから」と突き放してしまえば楽ですけど「馬鹿」とはどういうことでしょうか。

 

そういう風に言葉の一々について考えることが意見を持つことの基本単位だと思います。

人によっては「人を疑うことはよくない」という美徳がありますから普通の人は疑いません。

 

しかしそれは美徳というものに疑問を持っていないだけです。

「疑う」というとマイナスなイメージをもつんですね。

でも「疑問を持つ」ということです。

 

これは知的な作業なんです。

知的な作業というのは普通の人が持つイメージを浮かべた後にひと手間加えることです。

普通はこう考えるけど、こうとも考えられるな、という作業

 

言葉は悪いですがロボットも何通りか考えられるようになってますから、言葉一つで何も工夫をしないのはロボット以下という事。

何もすべてに関して工夫しろとかは思いませんし、そんなことしてたらキリがないですが、全く疑問を持たない人が多数派です。

 

ですからAIが発達すると仕事がなくなるという話が出てくるんですね。

逆に言えば疑問を持てる人であれば、高校生でもアルバイトでない自主的な仕事ができるようになりましたし、これからどんどん増えるでしょう。

 

高校生でも自由に働く人が普通になります - ノーミソ刺激ノート

 

「疑う」=「悪いこと」

というように単語一つでだれもが考えるイメージを思い浮かべてそのままにしているのは、おもちゃレベルのロボットがスイッチを押されて「キーキー」とその通りに動くのと一緒です。

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「疑う」というと人を否定するイメージがあるからでしょう。

でもそれはあくまでイメージですし、言葉をイメージとして使っているだけで本来的な使い方ができていないんですね。つまり言葉を使わされているんです。

 

文学を読むと語彙力が上がると言いますけど、

語彙力は「単語量」ではなく「語彙」という「言葉の関連性を持った塊」のこと

 

ですからできるだけ本を読んだほうがいいというのはそう用例をたくさん知っていると、そのうち何を読んだか忘れてしまうくらいに混沌とした知識の体系ができます

それが「語彙力」だと思いますし、それが教養という抽象的なものの正体なんですね。

 

目安としては1000冊くらいでしょう。

 

本を1000冊読むとどうなるか 

 

従って「疑った」からといって否定することとは別ですから

作業というのは意識的なこと、作為的なことです。

 

語彙力を鍛える(奇策) 

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