教養とは何か
大学で教養学という場合、「人文科学」を教養と同義にすることがあります。
「人文科学」は「人間らしさの学問」。
「人文」は「人」の「文」(あや)。「あや」というのは、
「彩・綾・絢・文」(全部アヤと読む)
で、大体は
「模様・糸の組み合わせ・美しい模様」
を表すんですけど、これだけじゃわかりづらいですよね。
私が思うに「(美しい)複雑さ」であると私は考えています。
一応、辞書的な意味を下記しますが、飛ばしても結構です。
ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動。
また、その立場。期にイタリアの商業都市の繁栄を背景にして興り、やがて全ヨーロッパに波及した。
代表者は、イタリアの・、オランダの、フランスのビュデ・、ドイツの、英国のら。人本主義。ヒューマニズム。ユマニスム。
※太字・改行はKECによる
自分に自信がつく
筋トレもそうですけど、教養を得ると悩みに対する過去の対策を探しやすくなります。
もちろん直接の対策にはならないことが多いです。
しかしたくさんの教養を積んでいくと、勝手に「自分のための」方法が見えてくるようになります。
それが多ければ多いほど自分に自信がつくんですね。
教養は初めは他人の言葉や考え方かもしれませんが、それを繰り返しやっていくとそのうちにそれは自分の言葉になっていきます。
善悪の解釈ができる
世の中に善悪というものがありますがそれは多くは立場の違いによっておこるものです。民主主義になってみんなが善悪を判断できる前提で政治は進んでいます。が、そんなのは無理なんですね。
解釈次第でどうにでもなります。
しかし本を読んで「言葉」を覚え、「考え方」を学ばなければ、他人の良いように扱われる道具になるだけです。
つまり自分をいかに解釈するかという事。
「好きなことをして生きる」
という言葉が流行りましたが好きなことをするには世界をどういう目で見てどういう風に解釈するかで、やりたいことができるのかどうかが変わって来るんですね。
なぜなら世界を解釈するのは自由ですから、
「これのせいでできない」
「あいつのせいでできない」
というできない理由を探してもどうしようもないことに気づけるからです。
本を読んでいない人は、どうしても「出来ない理由」を探します。なぜなら人の支配下にいるからですね。
解釈するという事は、人の解釈(支配)の下に生きるのではなく、自分が世界を支配するという考え方です。
すごく難しそうな、大きな話のように思えるでしょうが、自分で世界を解釈するというのは一人でできることです。
それはたくさんの教養を身に着けてそれらをブロックのように組み合わせればいい。
脳内で世界を構築してそれを実践できるようにイメージするんです。そうすることで世界を解釈できます。
それが自分をコントロールすること、解釈することに繋がります。
人の意見に惑わされなくなる
上記に繋がる話ですが、なにも教養のない人は人の考え方にそのまま頷くしかありません。
教養が何もない子供の場合は言葉をそのまま受け入れてしまいます。
大人になって人の意見に対して違和感を感じる場合は、正面切って反論しなくても何かしら自分の中でそれを処理することができるようになりますよね。
それはあんまり本を読んだことがない人でも経験することでしょう。
何でできるかといえば自分の経験でどうにかすることができるからですね。
でも大人になっても人の意見にそのまま頷いてしまう人はたくさんいます。
人が普通の動物と違ったところは、文字の開発だと言われています。文字とは自然の出来事、宇宙のすべてを人間が解釈しなおしたものです。
それを使って別の何かを作る、つまり文章を話したり書いたりすることは解釈することに繋がります。
逆に文章を書けない、喋れない人は解釈が苦手な人と言ってもいいでしょう。
苦手であれば練習するだけでいいんです。独り言を話してみるとか、思ったことをスマホにメモするとかからでもいいんです。
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たとえその考え方に違和感を感じても、それに対して適当な反論を自分の中で 構築することができるかどうかが教養の果たす役割です。
言葉の使い方が上手くなる
教養は人の土台です。
人は常の物事を考えていると言いますが、なぜかといえば言葉を持っているからですね。
人間は言葉でもってものを考えています。
人の言葉を用いる時は人の言葉でものを考えていることになります。
となると誰でも人の言葉を基に考えていくことになりますが、「自分の言葉」となるとどういう意味になるかといえばすでに持っている言葉を自由に工作してオリジナリティを作るという事です。
それにはたくさんの読書をしなければいけません。
言葉がどれだけあるか、どれだけ自由度があるのかは文学作品を読むのがいいでしょう。
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即物的な利益を求めたいなら自己啓発やビジネス書でいいかもしれません。
しかし本当の教養というのはいつまで経ってもなくならない源泉のようなものです。
それは一番は古典を読めばいいんですけど、いきなりそれは難しいので、漫画版から読めばいいんです。
漫画版だからと言って馬鹿にしてはいけません。その中でもいろんな言葉や考え方がエッセンスとして入っているので、そこから読めば一生使える教養が身に付きます。
人に馬鹿にされなくなる
これは比較の問題ですけど、人と話すときに教養というのは湧き出てしまうものです。
人の評価から受ける場合のポイントは体力的な側面もあるかもしれませんが、一番評価されるポイントは教養の有る無しでしょう。
ボクシングや野球で世界的にスターになったはずのスポーツ選手も、バラエティ番組でバカにされる始末です。
それは本人も望んでやっている側面もあるでしょうが、いくら体力面で一位になったところであまり尊敬されないのは事実です。
なぜかといえば人間がほかの動物と違っているところは知能だから。
体力で言えば動物の中では劣る人間の中で一位になってもあまり尊敬されていないというのが実情です。
ホモ・サピエンスとはそもそも「知恵のあるサル」という意味です。
教養というのは言葉の土台なので話をすれば出そうとしなくてもそれが出てしまうんですね。
逆に言えば本を読むのと読まないのとでは人格が変わると言ってもいいでしょう。
読書をすると収入が上がるというのはよく言われる読書のメリットですけど、本来読書というのは、経済や自己啓発本などを除いて、収入などの俗っぽいことを考えずに読むものだと思います。
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