哲学って何?
「大事なことを考える活動」のことです。
たとえばヨーロッパでは
- ギリシャ哲学
- キリスト教哲学
中国では
- 儒教
- 道教
- 仏教
があって、それぞれを見ると何に重きを置いているかが分かります。
ですから「大学でやるような哲学って何?」って聞かれた場合は
「それぞれの地域で考えられていた大事なことを考える活動を勉強すること」
と言えば間違いないです。
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ビジネス書とかで書かれている「経営哲学」っていうのも、経営することは最終的には決定をすることです。
だから具体的に命令してくれる人が居るわけではないので抽象的なことを考えなければいけません。
だからその「お金儲けの時に考えるべき大事なこと」を書いてあるのがビジネス書です。
大事なことって何
哲学の概説書を読むとそれぞれの地域で何を大事に考えられていたのかが分かります。
哲学といえば普通はヨーロッパ哲学のことを言うのでそれを先に書きます。中国に関しては私の専門なので、以前の書きましたし、この記事でも後で書きます。
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ギリシャ哲学
- 「ある」(存在)って何?
- 道徳って何?
- 善って何?
- 「美しい」って何?
キリスト教哲学
- 神って何?
- 教会って何?
- 聖書に書かれてることって何?
- 死んだらどうなるの?
というように、人によっては「前提」過ぎて考えることもしないようなことを考えます。この「人によっては考えない」という所から、哲学がバカにされる理由があるんですね。
「そんなこと考えてどうすんの?」
と訊いて、「言ってやった」気、本質を掴んだ気になっている人が一定数います。
これは仕方のないことで、そんなこと考えるよりさっさとやるべきことをやれ、死後の世界を考えるよりやるべきことがあるだろっていうことを大事にしている人もいるという事です。
つまりその人はそう言う哲学を持っているという事。
人によって「大事なもの」「行動の基礎」は違います。だからそれを考えているんです。誰でも行動はしているので、誰でも何かしらの哲学はしています。
「哲学なんてやったって無駄」と思っている人は、「哲学」というものはどんなものかと何かで読んだり聞いたりして、そこで得た、抽象的な「神」とか「生き方」というものを大事に考えていないっていうだけ。
人は何かしら大事な考え方は持っています。
これはどんな悪人でもそうです。
どんな悪人でも自分がやっていることは悪いことだという事は分かっていても仕方のないことだとして「正当化」します。
その正当化をするためには言葉で理論的に自分自身を説得しなくてはいけません。そうしないと心のバランスが取れないからですね。
で、大学の哲学科ではどういうことを勉強するかというと、いろんな哲学をした人が残した言葉、文献を読んで「そうだよね!」と納得したものが現代まで残っているわけで、それの研究や、それを読んで自分がどう思うかという研究をしています。
「死後の世界」だとか、不思議な出来事を考えるのが下らないと考えている人は昔からいました。そういう哲学もちゃんとあります。
そういう人の哲学が孔子の儒教です。
中国の哲学
孔子は死後のことや不思議、怪しいパワーのことを考えませんでした。
それより生きている世界のことを考えろと言いました。
「怪力乱神を語らず」
「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」
これって凄く実学的というか、科学信奉の人が考えそうなことですよね。
この二つの言葉は論語に書かれていることです。儒教意外に道教と仏教が大きな中国の哲学の柱ではありますが、順番としては儒教が一番最初、基本的な考え方です。
道教はそんな儒教への反発、アンチの考え方。
仏教はインドから入ってきた思想で、これを理解するために道教の言葉を基本として理解をしました。
ですから中国哲学を語る際には儒教を知らなければなのも始まりません。
僕自身は道教、仏教が好きです。
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現代中国は共産党の一党独裁で、「共産主義」という言葉自体はヨーロッパから渡ってきた考え方だという事になっています。
確かに言葉としてはそうですが、宗教的なことは無視して唯物論的に、科学的に考えるというのはそもそも中国人の儒教メンタリティにあったものです。
じゃあ中国人はみんなそういう実学的な考え方かっていうとそんなことは無く、そういう事に反感、反発を考える人も当然いました。
それが老子・荘子の「道教」です。
道教はそういう分かり切ったこと、言葉によって何でも判断したりすることに反発しました。
詳しいことはこちら⇓
中国のことを知るために。「中国における混沌思想」 - ノーミソ刺激ノート